週刊ダイヤモンド 1998年8月8日号(1998年8月3日発行)より転載

オピニオン 縦横無尽

働きたいと考える障害者は多い その意志が生きる社会づくりを

櫻井よしこ●ジャーナリスト

つい最近、ダイナミックでチャーミングな女性に出遭った。まわりの人びとが"ナミ姉さん"と呼ぶその人は、竹中ナミさんだ。健康そうに日焼けした彼女は団塊の世代のひとりである。

彼女が主宰している団体に「プロップ・ステーション」がある。障害者が自立することによって納税者を目ざす団体だ。"プロップ"というのは「支柱」、「支え合い」の意味で名づけたという。

「障害者を納税者に」という発想こそは、これまでの日本の福祉政策に余りにも欠けていたものだ。障害者には、さまざまなかたちで補助を"与える"ことが、政策の柱になってきた。"与える"ことによって健常者がつくる政府や、健常者が主流の社会は、どうしても障害者を下に見てきた。"助けてやっているのだ"という発想に陥っていた。これではいけない。

不思議に思うのは、日本のODAに対する考え方と、国内の障害者に対する考え方とのあいだに、大きなギャップがあることだ。金額では世界一となった日本のODAの基本的な考え方は、"魚を与えるよりも、魚の獲り方を教えよ"というものだ。物や生活資金を与えるよりも、自立するための知恵や技術の修得に手を貸そうという考えだ。

海外援助には、このように立派な考えを掲げていても、国内の手助けを必要とする人びとに対してはまったく異なる発想で対処してきた。

そのような日本の福祉行政のあり方に真正面から疑問をつきつけるのが、障害者を納税者にしようという発想である。憐れみの視線でみられ、幾ばくかの補助金を与えられて、社会の一隅の目立たないところで生活するように除外されていた人びとを、社会の真ン中で仲間として位置づけていこうというのだ。言いかえればそれは、これまで活用されてこなかった障害者の人びとの能力を、社会のために活用する道を拓くということでもある。

私たちは、「自分自身でもいつかは障害者」という発想をすべきである。人類が未だ体験したことのない高齢化社会に住んでいて、私たち全員が80歳くらいまでは生きると覚悟せねばならない。高齢化は、各人の能力がそのぶん落ちていくということである。それは自然の生のサイクルのもたらす障害の発生である。

となれば、障害者に一方的に与えるという政策が、如何に多くの人びとを対象にしなければならないことか。健常な若い世代が高齢者も含めた障害者を支えていくということが、如何に大きな負担を、若い世代に与えるかはすでに十分に指摘されている。

だからこそ、障害者は、与えられる側から身を転じ、納税者になっていこう、そのためにこそ政府も社会も手助けをしていこうという考え方は、この国の福祉のあり方のみならず、人間そのものを変えていくテコになるかもしれないと思うのだ。

竹中さんらの活動の柱は、コンピュータにある。全国の重度障害者にアンケート調査を実施した結果に基づいている。質問は2つ。何をしたいと考えているか、そのために何をしてほしいと希望するかという点だった。

多くの方々から回答が戻ってきて、8割の人びとが「働きたい」と意欲を示し、働くための武器としてコンピュータを教えてほしいと希望した。

竹中さんらは、企業や福祉、コンピュータ、経営の専門家らを訪ね、協力をとりつけて、障害者を対象とするコンピュータ・セミナーを開始した。1991年のことだ。

すでに200人の卒業生がいて、その中にはマイクロソフト社に就職した全盲の若者もいる。目の見えない人びとのためのコンピュータシステム開発などに大いに力を発揮しているという。

竹中さんらの活動は、無論、コンピュータ操作の伝授にとどまらない。彼らに残された能力を最大限発揮させるために、障害者の心を前向きに押し出すあらゆる手助けをする。

8月8日と9日には、障害者を挑戦者精神を失わない人と位置づけて、「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」を神戸で開催する。ここからきっと多くの勇気あふれる自立の道が切り拓かれていくことだろう。

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