中央公論 1998年6月号 (1998年5月10日発行)より転載

短期集中連載/コンピュータと教育(3) ─ 障害者

福音をもたらしたコンピュータ

滝田誠一郎(たきたせいいちろう)

コンピュータの登場によって、障害者の能力・才能を発揮する可能性は広がっただが、意思伝達に重点に置いた教育と、企業が求める実務的専門能力との間には大きな隙間がある。いま必要なのはそれを埋める早急な公的教育体制ではないだろうか

● プログラマーへの夢

伊藤和彦さん(四十一歳)が交通事故に遭ったのは高校二年生の夏休み。頚椎損傷。胸から下は感覚がない。もちろん歩くことはできない。腕は動くが、右手指は軽く握った状態で固まり、左手指はかろうじて動くものの、物を握ったり持ったりすることはできない。
事故以来、自宅ベットで寝たきりの生活を余儀なくされている。

自宅があるのは新潟県岩舟郡神林村。新潟市内から北東に約五〇キロ。日本海に注ぐ荒川の河口近くに位置する静かな村である。
この小さな村を訪れたとき、伊藤さんは全国に百数十のチェーン店を持つ大手流通会社の情報ネットワーク用プログラムの開発に取り組んでいるまっ最中だった。
「納期が近いのですが、実は今プログラミングのほうが少々行き詰まっていまして。悩んでいるところなんです。」

昼間は体のケアがあるため、仕事をするのは夜八時過ぎから深夜にかけて。
キーボードは右手の手首近くを使ってひとつずつ押す。ShiftキーやCtrキーは左手で軽く押さえる。マウスを握ることもクリックすることもできないため、マウスの代わりにタッチパッドを使ってカーソルを操作する。
両手の一〇本の指を使える健常者からすれば入力速度ははるかに遅い。その分、根気強くコツコツと作業を続けていく。

伊藤さんがパソコンと出会ったのは一九八二年のこと。この年の四月、NHKと民放が放送を開始したパソコン講座を見たのがきっかけで、その前年にNECが発売した『PC−8801』を購入する。
はじめのうちはパソコン雑誌に掲載されているプログラムリストを打ち込み、ゲームを楽しんだりしていた。
「ベッドに寝たきりで、自分でできることってほとんどない。でも、パソコンはプログラムさえ打ち込めば、自分の思い通りに動いてくれる。先端的な物に触れているという喜びも味わえるし」

伊藤さんは、じきに見よう見真似で自分でプログラムを組むようになる。株式のチャート作成用プログラムやハガキの宛名書きソフトなど。そんな噂をどこで聞きつけたのか、仕事の依頼も舞い込んでくるようになった。
「あるお店の在庫管理のプログラムを作ったのが最初の仕事でした。完成までに半年ほどもかかって相手の方には随分迷惑をかけてしまいましたが」
このしごとで伊藤さんが手にした報酬は二五万円也。
「嬉しかったですね。自分が働いて収入を得るなんて、そんなこと考えたこともなかったですから。お金を稼いだこと以上に、他の人の役に立てたということが嬉しかった。障害者って回りの人にいろいろとしてもらうばかりで、自分が回りの人のために何かしてあげられることってほとんどありませんから」

この経験を境に、伊藤さんはプログラマーとして働くことを夢見るようになる。そのためにはさらにスキルアップを図らなければならない。もっと勉強しなければいけない。
そうは思うものの、しかし、ベッドに寝たままで希望通りの教育を受ける機会はなかった。
電動車椅子で外出できる範囲内にプログラミング教育を行っている場所はなかった。

どんなに優れた能力、豊かな才能も、きちんとした教育の機会を与えられなければ、その能力を発揮し、才能を開花させることは難しい。教育の機会が与えられぬままに優れた能力を眠らせたままに、豊かな才能を埋もれたままにしている障害者が多いのが現実だ。
プログラマーになりたいという夢を持つようになった伊藤さんがようやく教育の機会を得たのは九六年のこと。
この年、プロップ・ステーションがインターネットを使って開始した在宅スキルアップセミナー『データベース設計講座』がそれである。伊藤さんが在庫管理のプログラムを書いてから実に一〇年近くが経っていた。

● 在宅スキルアップセミナー

大阪よろび兵庫に拠点を構えるプロップ・ステーションは、コンピュータ・ネットワークを活用して障害者の社会参加、とくに就労の促進を目的に活動を続けている非営利組織。
『チャレンジド(Challenged)を納税者にできる日本にめざして』という目標に掲げ、竹中ナミ代表の強烈な個性と強力なリーダーシップの下、様々な活動を展開している。在宅スキルアップセミナーもその一つである。
ちなみに、チャレンジドとは「障害を持つ人」を表す新しい米語表現で、障害者に変わる呼称としてプロップが提唱している言葉である。

「プロップを作ったのは九一年五月です。そのときに全国のかなりの数の重度のチャレンジドの方を対象にアンケートを採りました。
働く意志を持っているかどうか。働く場合に何が武器になると思うか。そういうことについてアンケートを採ったんですね。
そうしましたら回答を寄せてくれた方の実に八割が『働きたい』と。なおかつ働く場合の武器はコンピュータだ、と。仕事になるんだったら自腹を切ってでもコンピュータの勉強をしたいと。
これはもうコンピュータしかないということで、コンピュータ・ネットワークを活用したチャレンジドの社会参加、就労の促進を目標に活動を開始したんです」(竹中代表)

在宅スキルアップセミナー『データベース設計講座』は、受講生募集、オリエンテーション、テキスト配布、Q&A、実力考査などセミナーのすべての行程がインターネットを使って実施される。
ほぼ半年で修了するカリキュラムが組まれており、第一期(九六年八月〜)、第二期(九七年四月〜)に続いて、今年三月からは第三期の講座が行われている。
受講生の数は第一期六人、第二期一一人、そして第三期が一〇人。障害の種類、程度、年齢(二〇代前半から五〇代まで)、居住地(北海道から九州まで)と、受講生のプロフィールは実に様々である。

講師を務めているのは橋口孝志さん(六十三歳)。長年NTTでシステムエンジニアとして勤務した経験の持ち主。受講生からは“鬼の橋口”と恐れられている。
「勉強が目的ではなく、実務者の養成が目的ですから、当然、それなりの厳しさを持って臨んでいます。幸いにというか、ネットワーク上はまったくのバリアフリーですので、相手がチャレンジドだということを意識せずに指導することができる」
受講生のもとへは週一回橋口さんが作ったテキストが電子メールで送られてくる。毎回のように課題が添えられており、受講生はそれに追われることになる。

第一期の修了生である伊藤さんは次のように語る。
「課題をきちんと提出しないと前に進めないので、毎日四、五時間は勉強しました。そうしないとどんどん遅れていく。あんまり遅れると辞めてもらうと最初に橋口さんにいわれていましたから、必死でした。単にデータベースのことを勉強するだけでなく、橋口さんには仕事をする上での心構え、たとえば納期の厳しさみたいことまで教えてもらいました」
同じくインターネットを活用した在宅スキルアップセミナーとして、プロップ・ステーションでは『翻訳養成講座』も行っている。料金はどちらの場合も週一回二〇〇〇円。

● 運命が変わった気がした

社会福祉法人東京コロニーが運営するトーコロ情報処理センター(東京都新宿区)は、一九八九年度からパソコン通信を利用した『重度身体障害者在宅パソコン講習事業』に取り組んでいる。
講習期間は二年。コンピュータの基礎知識からはじまり、(1)ワープロやアプリケーションソフトを使いこなせるようにすること、(2)初級・中級プログラマーを目指し、講習修了時には情報処理技術者試験第二種程度の専門知識を身につけていること−のいずれかに目標に置いて学習を進めていくことになる。

同センターで教えている堀込真理子さんは「トーコロの講習ってけっこう厳しいんですよ」という。
「講師と生徒の間で毎日電子メールのやりとりをしながら講習が進んでいくのですが、二年間毎日宿題が出ますので、“働きたい”という強い気持ちのある人でないと続きません」
二週間に一度、講師が生徒の家を訪問してマンツーマンで指導を行う他、三ヵ月に一度センターに全員が顔を揃えるスクーリングを行っている。
同センターの講習は東京都内の重度身体障害者が対象で、定員は一学年五人。三人の担当者が、講習と終了後の就学援助を行っている。ちなみに授業料はこれまで無料だったが、今年から年間六万円の実費が必要になった。

筋ジストロフィー・難聴と闘っている吉川誠一さん(三十五歳)は、同センターの在宅パソコン講習の第一期生。
講習終了後、せっかく身につけた専門知識を活かすべく他のOBと共に『ONE・STEP企画』(現在、会員八人、準会員一五人)を結成、養護学校の生徒向けソフト開発、障害者を対象にしたパソコン講座・各種イベントの手伝い等々の活動を積極的に行っている。昨年六月、TBSの嘱託社員として在宅で障害者・支援者対象のTBSテレビ社外モニターのマネジメントの仕事もはじめた。
「パソコンは、それ自体が仕事に結びつかなくても、障害を持っている人間には生き甲斐になるというか、パソコンによって充実した生活を送ることができる。
障害があるとどうしても家にいることが多いので、人との接触がなくなる。ところがパソコン通信を使えば、たとえば好きなときに一〇人くらいの人たちと井戸端会議(=チャット)を楽しんだりできます。毎日誰かと会っているような気持ちになれて、それが心の支えになる。
トーコロの在宅パソコン講習ではじめてパソコンに触ったんですが、それによって僕の運命が変わったような気がします。今の僕にもしパソコンがなかったらと思うと、恐ろしいですね」

小川忠さん(二十九歳)も在宅パソコン講習の修了生。高校を卒業した春休みに交通事故に遭い、頸椎損傷。首から下が麻痺しているため、ガーゼを巻いた菜箸でキーボードをたたく。第二種情報処理試験合格、ならびにLANシステムの管理を行うシステム・アドミニストレーター初級の試験に合格し、現在は沖電気のホームページ作成の仕事に携わっている。
「トーコロに入ったときは、将来、自分が働くとは思っていませんでした。働けるなんて思っていなかったですから」
コンピュータと出会い、コンピュータを学ぶ機会を得ることで、障害を持った人たちに新たな世界、思いもしなかった世界が開けてくる。

● 支えるボランティアたち

トーコロ情報処理センターの修了生である吉川さんや小川さん、プロップ・ステーションの修了生である伊藤さんのように、コンピュータの専門知識、専門技術を身につけ、それを武器に就労のチャンスをつかんだ人たちもいることはいる。
が、彼らはある意味でごく限られたエリートといえるかもしれない。健常者を対象にしたパソコンスクールはいくらでもあるが、障害者がコンピュータのことを学べる場はきわめて限られているからだ。
この分野を代表する存在であるトーコロ情報処理センターで一学年の定員が5人。プロップ・ステーションの場合も一講座あたりの定員は一〇人前後にすぎない。
かなりの競争倍率、難関を突破しないことには教育の機会さえ与えられないのが現状なのである。
「僕は九五年四月からトーコロで勉強するようになったんですが、実は最初に申し込んだのは九三年なんです。このときはすでに応募が締め切られた後だということでダメで、翌年は試験に落とされ、三年目にようやく入れた。もっと多くの障害者が気軽に勉強する場があるといいと思う」(小川忠さん)

人材派遣最大大手のパソナのグループ会社で、障害者の能力開発や雇用促進を目的に設立されたパソナサンライズは、昨年末に障害者の自立を支援する福祉団体『WACS(ワックス)』と提携し、今年から聴覚障害者向けのパソコンスクールを開催している。
大手企業がバックについてはいるが、こちらの定員も二〇人弱とこぢんまりしたもの。
インストラクターはパソナが派遣し、手話通訳はWACSが育成した手話のボランティアサークル『ハンドネット』が当たっている。
「障害者の方と一緒にカリキュラムを考えるなど、障害者の立場に立ったスクール運営をしている点が私どもの特徴であり、自慢できる点でもあります」(WACS企画広報室・高橋真美室長)

障害者のパソコン・ネットワーク『ピア・ネット』も、今年からパソコンの学習会をはじめた。会場はかながわマルチメディアサロン(横浜市)。設置されているパソコンが一〇台というから、定員はやはり二〇人前後。
『障害者とMacintosh』(毎日コミュニケーションズ刊)という著書もあるピア・ネットの小川美紀雄代表は「コンピュータを習いたいという障害者の声が大きくなってきたので、毎週第二土曜日の午後に就労に向けたパソコンの学習会を開くことにした」という。
小川さんは『障害者とワープロパソコン通信研究会』の代表も務めている。同研究会にはパソコンのセットアップやパソコン通信のサポートするサポート隊なるものが存在する。
「サポート隊の登録メンバーは五〇人。主だった活動メンバーは一五人くらいです。彼らは四、五人ずつグループを作り、土曜日ごとに障害を持った人の家を訪れてパソコンやパソコン通信のサポートをするわけです」
いってみればパソコンの家庭教師。サポート隊が活動を開始して二年九ヵ月。これまでサポートしてきた障害者の数は一二〇人ほどになるという。

このように、様々な団体が障害者を対象にした様々なコンピュータ教育を行っている。が、それらはほとんどボランティア・ベースであり、そのため財源は乏しく、マンパワーも施設・設備も不十分で、受け入れ可能人数もごくわずかにすぎない。
働く意欲を持ち、そのための武器としてコンピュータの知識を身につけたいと思いながら、その願いが叶えられずにいる障害者のほうが圧倒的に多いのが現実なのである。
「コンピュータ・ネットワーク上は完全にバリアフリー。障害者だとか健常者だとかいう区別はまったくない。しかし、そのネットワークにアクセスするためにはコンピュータに関する基礎知識や基本的操作方法をマスターしておく必要がある。
そういう基礎的な教育は一民間団体、ボランティア・ベースではとてもカバーしきれるものじゃない」(プロップ・ステーション・橋口さん)
基礎的なコンピュータ教育−すなわちコンピュータ・リテラシーの育成は、これはやはり公教育が担うべきものだらう。つまりは盲学校、ろう学校、養護学校等の役割ということになる。

● 障害に応じた教育対応の必要性

文部省は現在教育用コンピュータの新整備計画を推し進めている。一九九九年度までに小学校に二二台、中学・高校に四二台、そして養護学校などの特殊教育諸学校に八台のコンピュータを整備するという計画である。
特殊教育諸学校の場合、八台(うち一台は教員用)という数字は児童・生徒一人に一台ずつコンピュータが行き渡るということを意味する。

こうしたハードの整備に伴い、コンピュータの基礎教育がこれまで以上に進んでいくことは間違いないだろう。しかし、解決すべき問題は山のようにある。
最大の問題は、聴覚障害、視覚障害、肢体不自由、知的障害等々、障害の種類や程度に応じて、個別の教育対応をしなければならないということだ。
たとえば、動画や静止画などを扱うことができるマルチメディア型パソコンは聴覚障害者の教育には便利だが、しかし、視覚障害者にとっては不便きわまりないパソコンということになる。実際、盲学校でGUI環境を取り込んだウィンドウズ・パソコンではなく、一時代前のテキスト・ベースのドス・パソコンが使われている。

視覚障害者がパソコンを使う場合、頼りになるのは画面の文字を一字一句読み上げてくれる音声読み上げ装置であり、画面の文字をリアルタイムで点字に変換してくれるピンディスプレイである。
肝心のその装置が、グラフィックな画像表示が多用されている最新型のパソコンの場合にはうまく機能しない。
筑波大学付属盲学校でコンピュータを教えている高村明良先生は、「GUI環境が整ってパソコンが使いやすくなったと一般にいわれますが、盲学校の生徒なんかの立場からいえばまったく逆で、ものすごく使いづらくなった」という。
同じ障害であっても、たとえば肢体不自由児の場合には片手しか使えない子、両手の手指が使えない子、首から下がすべて麻痺している子など、障害の現れ方はまちまちである。それに見合った入力装置の工夫、教育方法の工夫が必要になる。
だが、個別対応するだけのマンパワーが教育現場にない。

「視覚障害者の数は、約三五万人といわれています。それに対してパソコンを所有している視覚障害者は数千人から一万人程度にすぎない。その中でパソコン通信をしている人は数百人くらいのものでしょう。
なぜパソコンを使える人は少ないか。
理由はいくつかありますが、その一つに教育者不足がある。晴眼者ならばマニュアル本を読んだり、電話で人に聞いたりしながらパソコンの操作を覚えることができる。
 ところが視覚障害者が音声読み上げ装置について勉強しようと思っても、そういう本がまずない。電話でいくら説明されても、それだけではなかなかわかりづらい。実際に隣にいて手取り足取り教えてくれる人が必要なんですが、そういう人が圧倒的に不足している」(八王子盲学校・三崎吉剛先生)
ちなみに、三崎先生も筑波大付属の高村先生も本来は数学の先生で、情報処理を教えてはいるが、それが専門というわけではない。
一般の小中学校同様、コンピュータに精通したごく一部の熱心な先生の手によって、個別手作りのコンピュータ教育が行われているのが現状だ。

● 可能性の提供

綾瀬ろう学校では、高等部一年になると『情報技術基礎』の勉強がはじまる。
一年次は二単位で、キーボードの操作、文字入力や保存の仕方といった基礎を学ぶ。二年次は一単位で、エクセルの勉強をする。この他、プログラムの勉強をする選択科目も用意されている。
「コンピュータの技能検定を一つの目標にしているのですが、過去三年間に技能検定三級に受かった生徒が四人います」(横枕雄一郎先生)
このような形で実務的にコンピュータ教育を行っている学校もあるが、特殊教育諸学校におけるコンピュータは主としてコミュニケーション・ツールとして位置づけられている。
障害を持った子供たちにとって、コミュニケーション・ツールとしてのコンピュータは大きく二つの側面を持つ。

ひとつは、障害者と健常者、障害者と障害者のコミュニケーションを円滑にするツールという側面だ。
この春、肢体不自由児対象の都立光明養護学校から綾瀬ろう学校へ転任になった伊藤守先生は次のように話す。
「コンピュータは生徒にとっての自助具だというのが僕の持論。では何を助けくれるのかといえば、それはコミュニケーションです。たとえば、視覚に障害を持った人と聴覚に障害を持った人が向き合った場合、それだけではコミュニケーションは難しい。でも、二人の間にパソコンがあれば、それを介してコミュニケーションができたりする」
コンピュータを介してコミュニケーションができるようになる。コンピュータ・ネットワークを使いこなすことでコミュニケーションの輪が広がる。これが一つの側面である。

コミュニケーション・ツールとしてのコンピュータが持つもうひとつの側面は、それを使いこなすことで別のコミュニケーション能力が身についたり、向上したり、引き出されたりするということである。
「聴覚障害者の自宅には必ずファクシミリがありますが、ファクシミリを日常的に使いこなすことによって日本語の文章力が向上したといわれています。同じように、パソコンを使いこなすことが読み書きの能力向上につながるのではないかと期待しています」(綾瀬ろう学校・横枕先生)
「点字というのは漢字のない文化のですが、パソコンのワープロソフトを使いこなすことで、漢字仮名交じり文の読み書きができるようになる。それはすなわち健常者と同じ漢字文化を共有することができるようになってきたということであり、自分の意志表現の手段が増えたということでもあるわけです」(筑波大学付属盲学校・高村先生)
言語障害を持った子供が、パソコンを使って他人とコミュニケーションすることができるようになったのをきっかけに、言葉を発するようになったという事例などもあるそうだ。

このように、新たなコミュニケーション・ツールとしてのコンピュータの登場によって、障害者がその能力、才能を発揮する可能性はぐっと広がった。
それは実に素晴らしいことだが、しかし、コミュニケーションに重点に置いたコンピュータの基礎教育と、企業が求める実務的能力との間に大きな隙間があるのも事実。
その隙間を埋めるような公的教育体制を早急に確立すべきだ。

● 進む“アクセシビリティ”

日立製作所は昨年一二月、ALS患者(筋委縮性側策硬化症。体の自由が奪われ、話すことも困難になる病気)を主な対象にした意思伝達装置『伝の心』の発売を開始した。意思伝達装置と銘打っているが、『伝の心』は正確にはパソコン用ソフトである。一つのボタン(接点スイッチ)を押すだけで文字を入力することができる。
磁気センサーが標準で組み込まれているため、動作可能な体の一部に医療用永久磁石(たとえばピップ・エレキバン)を貼れば、体のわずかな動きで文字入力などのパソコン操作ができる。眉の上に磁石を貼れば、眉を動かすだけでパソコンが操作できるわけだ。
『伝の心』を使うことでテレビのスイッチのオン/オフ、チャンネル切り替えなどができるほか、ポケベルにメッセージを送信することもできる。定価は五〇万円。
この『伝の心』を企画し、現在その普及活動を行っているのは日立の情報機器アクセシビリティ推進室である「アクセシビリティ」とは、わかりやすく意訳すれば、「使いやすさ」というほどの意味になる。

情報機器アクセシビリティ推進室の発足は一九九二年。九〇年六月に通産省が打ち出した『障害者等情報処理機器アクセシビリティ指針』(九五年四月改訂)が発足のきっかけになっているという。
アメリカのガイドラインを参考に策定されたアクセシビリティ指針とは、「障害者等が情報処理機器へのアクセシビリティを確保できるようにするため、キーボード、スイッチ、ディスプレイ、プリンタ等の入出力手段を改良し、特殊な入出力装置の接続を容易にすることによって、機器操作上の障壁を可能な限り克服または軽減し、使いやすさを向上させる」ことを目的にしたものである。
「当時、日立はこの分野が立ち後れていたため、指針が出ると同時に委員会を設置し、二年後にアクセシビリティ推進室を発足させたのです」(小澤邦明推進室長)
その成果のひとつが『伝の心』というわけである。

こうしたアクセシビリティ指針が設けられていることもあり、障害者サイドからすればまったくもって十分とはいえないのだろうが、ハードメーカー、ソフトメーカーともそれなりに障害者の使いやすさを考慮はしている。
たとえば、パソコン市場を席巻しているマイクロソフト社のウィンドウズ95。このOSには『ユーザー補助』(英語版では『アクセシビリティ』)という機能が取り込まれている。視覚障害、聴覚障害、肢体不自由という障害に合わせて操作環境を変えることができるようになっている。
こうした機能や様々な周辺機器をうまく利用すれば、パソコンそれ自体はかなり重度の障害を持っている人でも使いこなすことができる。
使いこなすことができれば、パソコンは大きな恩恵を障害者にもたらしてくれる。

「パソコンによって、視覚障害者が健常者と同じ文化を共有することのできる下地がはじめてできた」(筑波大学付属盲学校・高村先生)
「何かやりたいという意欲を持っているチャレンジドにとって、コンピュータ・ネットワークは障害者とまったく同じチャンスを与えてくれるはじめての道具だといえます」(プロップ・ステーション・竹中代表)
「パソコン通信の上では障害者であってもまったくハンディがない。これは障害者にとっての人間革命といってもいい」(ピア・ネット・小川代表)
「ディスアビリティ(障害)とハンディキャップは違う。視力が悪いのはディスアビリティだけど、眼鏡をかければそれはハンディキャップにはならない。同じように、パソコンを使いこなすことで、様様な身体的ディスアビリティを補い、それがハンディキャップにはならないようにすることができる」(アップルディスアビリティセンター・福田正センター長)
コンピュータのハード、ソフトのアクセシビリティがさらに向上し、コンピュータを学ぶ機会、その成果を試す就労の場を増えることを期待せずにいられない。

滝田誠一郎氏
ジャーナリスト。1955年東京都生まれ。青山学院大学法学部卒。
企業会社のなかの人間にスポットを当てたルポなどを中心に、幅広い執筆活動を展開。
著者に『会社ニモ負ケズ人生ニモ負ケズ』『戦略出向・男たちの旅路』など。
最新刊は『電脳のサムライたち−西和彦とその時代』。
著者の電子メールアドレスは、S−Takita@msn.com

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