歯科衛生士 1997年10月号より転載

リレー連載13

元気が出るビタミン・エッセイ

軽快に 秋雨走る 猫走る

プロップ・ステーションインターネットセミナー講師 石田 京愛

今月の著者・プロフィール

1959年大阪府泉大津市生まれ。文学部国文学科卒。大阪市在住。仮死状態で生まれ、後遺症として障害が残る。全身麻痺ののため意志に反して手が動く。言語障害あり。幸いにして不自由ながら歩行はできる。パソコンは高校を卒業した頃から独学で習得。パソコンで大学の卒論を書き、それを母に規定の原稿用紙に清書してもらう。俳句は約10年になる。師匠の指導の下、賞を頂ける力がつく。著書に句集「猫の恋」。現在、大阪府立堺養護学校高等部の時間講師、プロップステーションのインターネットセミナー講師、企業のホームページ作りをしている。講演経験あり。自費出版やパソコン指導等を請け負う工房「圭優堂」を設立。妻と二人で運営している。

E-Mail:keiai@po.iijnet.or.jp   URL:http://www.butaman.ne.jp:8000/~keiai/index.html

プロップとの出会い

先月ご登場の吉田幾俊さんと同じく、私も「プロップステーション」(以降、「プロップ」)の会員で、「プロップ」にはいろいろお世話になっています。吉田さんとは同じ学校の出身で、私が後輩になり、「プロップ」に入ったのは私が3、4年先でしたので、同会では先輩面をしています。

「プロップ」のことは7月号で代表の竹中さんが書かれていますので、バックナンバーを見ていただくとして、「プロップ」と私の出会いについて少し書きたいと思います。

私が入会したのは、4年ほど前になります。ちょうど「プロップ」の黎明期であり、いわば「生え抜き」。入会したきっかけは、以前親しくしていただいていたボランティアから「チャレンジド向けのパソコンセミナーあるで」というお誘いを受けたことで、それから熱心に通うようになったのです。

私は、パソコンがまだ「マイコン」と呼ばれていた頃から触っていたのですが、セミナーを受けた当初はさっぱり理解できませんでした。それまで私が触っていたのとはまったく異なる概念に基づくパソコンだったからです。

私が触っていたのは、文字を中心としたキャラクタベースのもので、命令を与える際はいちいち英単語をキーボードからタイプしなければなりませんでした。セミナーで使用するのは、「GUI」という概念に基づくもので、それまでの知識は役に立たないどころか、かえって妨げになりました。最初のクールは、その操作を覚えるのが精一杯で、就労の武器となるソフトウェアの習得までは到底至りませんでした。幸いなことに、当時はセミナーの実験段階で講習は無料でしたから、その後数回連続で受けさせていただきました。

チャレンジドも経済を担う"地球人"

約4年を経て、ようやく私も仕事ができるようになり、現在では「プロップ」主催のパソコンセミナーやインターネットのホームページを作る仕事をしています。もちろんそれに対する報酬はいただいています。

セミナーを受ける以前から学校の時間講師をしており、人様に何かを教える素晴らしさや大変さというものは自らの経験則にありましたが、セミナーを受け、仕事に幅がでてくると、それに加えて「金銭をいただく(稼ぐ)」という行為そのものへの楽しさ、面白さが実感として沸いてくるようになりました。これは社会生活をしていく上で、基本的なことだと思います。チャレンジド側も相応の覚悟と努力は必要不可欠ですが、チャレンジドであってもこの希求を正当な価値基準で満たしていただければ戦力になるのです。

チャレンジドが働く上で不利になるのが、身体的・精神的な障害により、長時間労働が困難であるということです。しかし、これも考え方ひとつだと思います。必ずしも長時間働かなくてとも良いのではないでしょうか。世の常として、残業は美徳という感覚があります。長時間働くことが美徳という感覚。長時間働ければ「仕事のデキる人」「仕事が捗る」という錯覚、たしかにそれに該当する人はいます。職種によっては長時間労働もやむを得ないでしょうが、しかし、中にはそうでない場合もあるのではないでしょうか。

そういう観点から考えると、短時間があっても「仕事ができ」れば良いはずです。語弊がありますが、ここにこそ私を含むチャレンジドの利用価値があるのです。チャレンジドも経済を担う"地球人"なのです。

たくさんの涙を流し、そして結婚

少し私のテンションが上がり気味(ポリポリ)なので、クールダウンに後半は私自身のことを書きたいと思います。

現在、大阪市内で家内と二人暮らしをしています。先程も書きましたが、私の仕事は学校での時間講師と、「プロップ」主催の神戸プロジェクトの一環であるインターネットセミナーの講師と、「プロップ」コーディネイトで、企業のホームページを作成をしています。また、個人的に自費出版やパソコン指導等を業務とする工房「圭優堂」を作り、請け負っています。

家内とは「プロップ」で知り合い、3年前に結婚しました。当時、家内はボランティアとして「プロップ」に参加していました。家内はいわゆる健常者です。チャレンジドの私と結婚する際には、相当な覚悟と勇気が要ったことだと思います。交際中に何度となく語り合い、時には町中で辺りかまわず大声で泣いたこともあります。私が泣き、そして家内が泣く。二人にとって、一生の内に流すであろう大半の涙を流したと言っても言い過ぎではありません。

私の両親は、家内を紹介した時に「お前、あつかましいなぁ」と私に言ったものです。本当にそうだと思います。何の取り柄もない、社会的に未熟な私が結婚をするということなどあってはならないことでしょう。

交際中は、二人とも結婚するものだと思い込んでいましたが、ある日、「まだプロポーズもらっていないで」と家内が少しすねて見せました。女性というものの底知れぬ怖さを感じたものですが、「う〜、その内ね」と私。それからしばらく経ち、とある喫茶店でブルーハワイとおにぎりを頬張りながら、「僕と結婚してくれるか」とついにプロポーズをしてしまいました。なんとも格好の良くないプロポーズです。もちろん答えは小さな声で「はい」。結婚の顛末はこれぐらいにします。本が一冊書いてしまいます。どこかでお話しする機会もあるかも知れません。講演に呼んで下さい。

俳句は自分を客観視できる

私が自分自身を語る時、欠くことのできない項目に「俳句」があります。

私の「京愛」という名前は俳号(俳句のペンネーム)です。俳句は約10年になります。俳人として他誌に載せていただくこともあります(たまに、ですが)。私がなぜ俳句を始めたのか。それはもう人と人との出会いという運命の面白さを感じずにいられません。

学校の講師をし始めて間もない頃に、同じ講師仲間の一人となぜか俳句談義になり、私が「俳句は感性が最重要だ」と言ってしまったのです。「ほたらあんさんも俳句やってみれ」と言うことになり、仕舞いには俳句の面白さ、奥深さの虜になってしまって今日に至っているわけです。そのすぐ後で知ったのですが、私と俳句談義をした人が実はベテランの俳人だったのです。その当時で彼の俳歴は25年にもなるという正に俳句の玄人。もう恥ずかしいのなんのって、さらに驚くことがあったのです。その彼が所属している俳句の集団、俳句結社「飛翔俳句会」を主宰されていた人が、私の高校時代に現在国語の授業で「俳句を作ってこい」と宿題を出した先生だったのです。人との出会いの素晴らしさを実感しました。それに加えて、その先生が俳壇においてかなり有名であったことを知った時は、感慨無量でした。先生は有名にして天才俳人石田波郷の弟子で、生前の波郷の話をたまにしてくださいました。私たち弟子にとっては天才俳人波郷の話は誠に興味を引くものでした。もう直接は会えません。波郷と直に交わった人の話ですから、それだけでも値千金というものです。

残念のことに、先生の最後の弟子が私となってしまいました。約5年間師事させていただきましたが、一番嬉しかったことは、「京愛君は20年かかるものを3年でつかんだ」とのお言葉を賜ったことです。師匠は少しサービスをして下さったのでしょうが、このお言葉のお陰で現在まで俳句を捨てることなく続けられているのです。この頃から賞をいただけるようになり、ますます俳句の虜になってしまいました。

俳句をしていて収穫だったのは、自分を客観視できるようになったことです。俳句を作っていくプロセスは、一度客観視して、それを主観視する、客観の主観という作業を経ます。それが社会生活にも役立っています。物事の本質を見られるようになり、物事の本質は実にシンプルなものであることがわかるようになったのです。

俳句を含む文芸・芸術は突き詰めようとすると一筋縄ではいきませんが、趣味ならば堅苦しく考える必要はありません。俳句の場合ですと、日常の出来事を17文字にすれば良いのです。それだけではいつ、どの季節に作ったかがわかりませんので、後年読み返してもわかるように「季語」という季節を表す言葉を入れてください。季語は特別な言葉ではなく、その季節に目に触れるものや肌で感じるもの、例えばスイカは夏に食べますから夏の季語、リンゴは秋、というように季節の風物がそのまま「季語」になります。これは私が提唱しているのですが、俳句は日常生活のスケッチなのです。ちょうど日記代わりと思っていただければ良いと思います。毎日作らなくとも良いのです。心に感じたらノートにでも書きためていけば良いのです。そう考えると日記よりも手軽ではないでしょうか。

日常の風景が少し新鮮なものに見えてくるでしょう。

最後に、私が作った俳句を少し披露します。お楽しみくだされば幸いです。

軽快に秋雨走る猫走る

鹿の背へかいなを置いてみていたり

では皆様、どこかでお会いいたしましょう。

次回は小原啓司さんにバトンタッチ!!

★ 小田原市で奥様と二人でお住まいの小原啓司さんは、インターネットで必要の技術を習得し、習得した技術で在宅ワークをしていらっしゃいます。奥様と二人でお住まいと言う点は私と同じです。小原さんのエッセイが楽しみです。

▲ インターネットセミナーの風景。

▲ ハワイ旅行でのスナップ。ワイキキビーチにて。

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