月刊セデ第8号 1995年11月10日号より転載

特集 コンピュータと障害者

働く武器としてのパソコン その2

「障害を持つ人を納税者にできる日本」というスローガンの基に設立されたプロップ・ステーション。計画されたときはバブルの絶頂期で、協力を要請された企業側の話も熱っぽかった。「車椅子生活の人でも、手が動いたら金の卵や。」多くの企業が支援を約束してくれた。

ところが、いよいよスタートというときバブルは崩壊し、日本は一転して不況に突入した。コンピュータソフトの製作会社の場合、零細なところが多いだけに、つぶれたり規模が縮小されるところがあいついだ。期待していた支援の多くはダメになった。

そのとき、プロップ・ステーション代表の竹中ナミさんは思った。「景気の変化は本当に恐い。でもすべての人に不況がやってくることがわかったお陰で、次に景気がよくなるまでに障害者が一生懸命勉強しておけば、少なくともスタートラインでは、健常者と並べるかもしれへんな、という気になりました。」

障害者独自の「仕事のネットワーク」をコンピュータが可能にする
セミナー修了生の中から仕事のできる障害者が育った

前号でレポートしたしたようにプロップ・ステーション(以下、プロップと略)の開催しているコンピュータ・セミナーの修了生はのべ80名ほどに達している。
「修了生の中から、仕事への意欲が非常に強く、勝つコンピュータに適性があって、伸びるのが早い人が何人か出できました。」と代表の竹中さん。

そうした人たちに、何とか仕事の場を斡旋したい―そこで、94年4月に「プロップ・ウィング(以下、ウィングと略)が設立された。ウィングは、セミナーの修了生を受け入れ、実際の仕事をこなす場であり、同時にボランティアの講師のトレーニングを受けて、さらに自分の技術を高める場である。ウィングには、大阪市の作業所助成金が出ており、書類上は市の福祉作業センターだ。

新しいタイプの"在宅"
コンピュータ作業所「プロップ・ウィング」

しかし、ウィングは従来の作業所とは大きく内容が異なる。ウィングが目指すのは、パソコン通信を利用した、いわば在宅作業所勤務なのである。

添付を見ていただきたい。

ウィングは、プロップ独自のパソコン通信ネットワーク「プロップ・ネット」を通じて、個々の勤務者の自宅および顧客企業と結びつく。顧客からの発注をプロップ・ネットで受け、それをさらに在宅の勤務者へ割り振るのである。勤務者数が多くなり、リーダー的な人材が育てばリーダーがさらに仕事を別の勤務者に通信上で割り振り、より大規模な作業をこなす。そうやって個々の勤務者がつくった制作物は、ウィングに集められて最終的なまとめがなされ、プロップ・ネットをより高度化したマルチメディア通信システム「プロップfc(first class)ネット」を通じて顧客に納品されるのだ。
「重度の障害者に、『毎日仕事場へ通え』というのは、とても困難なことです。たとえば頚椎損傷の障害者の場合、1番恐いのが床ずれ。首から下の神経がマヒしていますから、知らない間に床ずれが進むと、お尻に穴があいてしまったりする。床ずれで死ぬこともあるのです。1センチくらいの床ずれでも入院が必要で、治療に1週間から10日はかかります。」

たとえ自宅からそう遠くないところに仕事場があっても、そこに「来い」というだけで重度の障害者は疲れきってしまい、本来持っている能力が発揮できなくなるのだ。「でもウィングのシステムなら、重度の障害者でも仕事を無理なくこなせます。」

機関紙発行が示す在宅勤務の"実力"

プロップを通じて重度の障害者がこなしている『仕事』の好例がある。プロップの機関紙「フランカー」の発行業務である。

フランカーは年4回発行され、会員に配布されている55ページほどの雑誌だ。編集長の桜井龍一郎氏は頚椎損傷。右手と首がわずかに動く程度だが、ベッドの上から采配をふるっている。

編集会議・取材原稿の送付、校正・レイアウト、版下(印刷用原版)作成までを、パソコン通信上でおこなっており、会員からの情報も通信によって得られる。(添付)どんなにスタッフや会員が離れたところにいても、お互いの都合のいいときにプロップ・ネットに書き込みしておけば打ち合わせができる。書き込まれたものは、コンピュータの中にデータとして蓄積されることになるので、わざわざ議事録をとる必要もないし、原稿や図版のやりとりや修正・加工も、すべてコンピュータの画面上で可能である。

ちなみに編集長の桜井氏は、労働者の在宅勤務制度の適用を受け、大阪市内のコンピュータグラフィックス製作会社の正社員として働いており、フランカーの編集はボランティア活動である。

インターネットとも接続して世界を相手の仕事を

またプロップ・ネットの運営責任者の坂上正司氏も、頚椎損傷の重度障害者である。本業はマンションオーナーで、マンションの経理や入居者管理をコンピュータでこなしながら、ネット運営をボランティアでやっている。

プロップ・ネットは、この9月からプロップの顧問である中野秀男氏(大阪市立大学教授・学術情報総合センター室)の協力により、インターネットに接続され、プロップとしてのホームページ(索引)を設けた。「これは、障害者雇用促進協会の『インターネット等導入時の課題に関する実証的研究』の委託を受けていて、若干の補助をいただいています。

インターネットはアメリカで生まれた国際的コンピュータネットワークで、世界140カ国以上を結び、利用者数は1500〜2000万人に達するといわれる。最近は日本でも、企業、国や地方の行政機関、個人等の利用者が急速に増えている。
「インターネットを使えば、日本は愚か世界中の人とコミュニケーションできます。また技術さえあれば、どんな遠隔地の仕事でも受注でき、ビジネスチャンスは限りなく広がるでしょう。」(添付)

高齢化社会の到来でバリア(障害)の克服が国家的課題に

竹中さんは、娘さんが生後3ヶ月で重度の障害を持っていることがわかり、以来、20年間にわたって手話通訳、介護ボランティア、福祉団体の事務局長、そしてプロップ代表と、障害者に関わる活動を続けてきた。
「私の能力はしゃべくりだけです。こんなこともしたい、あんなこともしたいと思うけど、私自身ができるのはアジテーターの部分だけ。それがここまでやってこれたのは、人に恵まれたからです。」その活動が、プロップをつくった時期から急激に開花した。「今になってみると、私が20年間をさまざまな活動してきたのを、きっといろいろな人が見ていたんだと思います。その中から、『あれだけやっているのなら、応援してやろうか』という人が出てきたのではないでしょうか。」

竹中さんはもう一つ、時代が曲がり角に来ていることも指摘する。高齢化社会の到来である。「私は団塊の世代ですが、私たちの世代が今、社会の中堅、中枢を占めるようになり、ふと、自分らの20年後を考えたとき、唖然とするわけです。『誰が私の面倒を見てくれるのか』と。」竹中さんは、日本のシステム全体を変えなければならない時期に来ていると言う。
「私は、たまたま自分の子供が重度の障害者だったから、障害者のために何ができるかを考えるのがスタート点だった。でも、“障害者だけのため”に何かをしたいと思ったことはありません。障害者は特別な人ではない。

ただバリア(障害)が大きいだけ。それに、日本の障害者の6割がじつは高齢者なのです。高齢化社会には、バリアの克服が大きなテーマとなります。」

行政とも手をつなぎコンピュータをテーマに世の中を変えていきたい

竹中さんは今、行政の姿勢も徐々に変わってきていると感じている。国のさまざまなプロジェクトに意見を求められる機会も多い。通産省の「アクセシビリティ(交通機関の利用しやすさ)指針」、郵政省の「バリアフリー部会」、厚生省の「BBS設立」といったさまざまな委員会やプロジェクトで意見を求められている。
「よく『国の委員になったりすると、行政に取り込まれるよ』と言う人がいますが、そういう感覚は古いと思う。行政と市民が対立する図式は過去のものです。行政も市民も、役割が違うだけで、目指すものは同じでなければいけません。」役割分担が違うのなら、その間のパイプをしっかりつながなければ、何も前は進まない。
「だから国にものを言うチャンスがあればどんどん言わせてもらう。そして、融合ではなく歩み寄りを通して、世の中を変えていきたい。」竹中さんは、自分がそのためのパイプになれるのなら、喜んでその役目を果たすという。
「パソコンはいずれ、ごく日常的な道具になると思います。五感の延長になると言ってもいいでしょう。しかしそうなったら、就労の武器ではなくなります。冷蔵庫が使えるからと言って、仕事に就けるわけではないように。でも、そこまでコンピュータが発達するにはまだまだ先のこと。そこに到達するまでは、コンピュータを使えることは障害者の手で日常の道具になるコンピュータを開発するなんて、すばらしいことじゃありませんか。」

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