盲ろうの東大教授:福島智さんのインタビュー記事が東京新聞に掲載されましたので、ご紹介します

2015年10月20日

ナミねぇの尊敬する友人である
盲ろうの東大教授:福島智さんのインタビュー記事が
東京新聞に掲載されましたので
ご紹介させていただきます。

福ちゃんの、笑顔の写真が素敵やね!!

<by ナミねぇ>

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盲ろうの東大教授:福島智さん


触読で原点を再確認 うつ症状乗り越えて 福島 智さん(盲ろうの東大教授)

 目も見えず、耳も聞こえない盲ろう者として初めて東京大教授となった福島智(さとし)さん(52)。この数年は適応障害によるうつ症状に苦しんでいたという。近著『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)では、北方謙三さんの小説に「支えられて生きてきた」と明かす。なぜ読書が救いとなったのか。研究室を訪ねた。

 「はじめまして」と、少し高い声で迎えられる。返事をすると、隣に座る通訳者が福島さんの指を手早くたたいた。九歳で視力、十八歳で聴力を失った福島さんの意思疎通手段は、母の令子さんが考案した「指点字」だ。通訳を介しているとは思えないスピードで会話が進んでいく。

 福島さんは東大に着任して四年後の二〇〇五年、適応障害と診断された。研究室の責任者となり、約四十人のプロジェクトを担当することで直面した、人間関係のトラブルが原因だった。「見えなくなり、聞こえなくなった時もストレスはあったが、そうしたハンディは自分の力で上からのしかかる重しを持ち上げれば何とかなった。でも、人間関係は払いのけようとしても絡み付いてきた」

 一度は回復したが、一〇〜一一年の米国への長期出張中に再発。日本では東日本大震災が発生し、大学から「被災地の障害者支援の先頭に立ってほしい」と帰国を要請されたが、「抗うつ剤を最大量飲んでいるような状態で動けなかった」。無力感からますます落ち込んだ。

 そうした「どん底」の状態で出会ったのが北方作品だった。「自分が大事だと思うことに筋を通し、命を懸けて生きる主人公の姿勢に引き込まれた」。初期のハードボイルド作品から、『水滸伝』など中国歴史小説の超大作まで、点字に訳されている小説はほとんど読破。触読しながら、自分にとって大事なことは何だろうと自問した。

 「十八歳で考えたことを思い出したんです。盲ろう者というのは埋もれた少数民族のようなもの。周りから見えず、虐げられている。その解放運動が私の本来の第一目的だったと。自分がメーンテーマから外れたところで思い悩んでいることに気づいた」

 音も光もない生活の中で、これまでも読書は多くの力を与えてくれた。「一日のうち、通訳者と接続しない十六時間くらいは地下の独房に閉じ込められているようなもの。読むことは大きな意味を持つんです」

 大藪春彦や船戸与一のハードボイルドを読み、極限的な状況を生きる主人公と自分を重ね合わせた。小松左京や星新一のSFを読み、見えず聞こえない自らの境遇も「SF的」と考えることで生きる勇気を得た。そして今回の危機でも、北方作品で原点を再確認できたことが精神の安定につながった。

 近年の研究では「コミュニケーションが持つ価値をどう位置づけるか」という課題に挑む。福島さんのように会話や情報収集ができる盲ろう者はごく一部。支援制度を確立したいが、「今の福祉施策では取り組みが弱い」という。

 「私は『コミュニケーションは心の酸素』とよく言うんですが、学術的な裏付けは明確でない。厚生労働省への予算要求で『意思疎通がないと魂のレベルで人は死ぬんです』と訴えても、エビデンス(科学的根拠)がないと言われたりする。自分の障害体験と関連させ、その重要性をうまく説明するのがライフワークです」

 福島さんが盲ろう者となった時、「宇宙に一人で漂っているような状態」の中で自分の存在を実感させてくれたのが、指点字を通じた他者とのコミュニケーションだった。「適応障害になり、人とのつながりは大きな喜びであると同時に、大きな苦しみの源泉にもなると分かった。でも、やっぱり人は人間関係がないと生きていけないんです」

 最後に、取材を依頼した時から気になっていたことを尋ねた。どうやってメールに返事しているのか、それも手早く。福島さんは、脇に置いた弁当箱のような機器のキーを打ち始めた。「点字スマホ、みたいなものです」。すぐ記者のスマホにメールが届いた。「読めますか?」。こちらの驚く顔が見えているかのように、福島さんはにっと笑った。 (樋口薫)

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