この国のゆくえ 危機の今こそ考える

日経ビジネス:2009年1月16日(金)より転載
  篠原 匡(日経ビジネス記者)

厳しい数値目標が国営企業を鍛えた

“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(2)

 ストックホルム中央駅――。「サムハル(Samhall)本社へ」と行き先を告げると、アクセルを踏んだタクシーの運転手は、寒そうに首をすくめる日本人に同情したのか、ため息をつくように、こう言った。「あなたも最低な時期に来たわね」。

 11月のストックホルムは雨が多い。この日も、今にも落ちてきそうな鉛色の雲が空を覆っていた。人を陰鬱な気分にさせる暗い朝。だが、ごく稀に雲の切れ目から光が差すことがある。鉛色の空から差す一条の光は、心を覆う陰鬱さを吹き飛ばす力を持つ。サムハルも、不透明な時代に差す一筋の光なのかもしれない――。


ストックホルムの秋は雨が多い。鉛色の雲の間から光が差す
(写真:Niklas Larsson)


サムハルのCEO、ビルギッタ・ボーリン。サムハルに来る前は国防省に勤めていた
(写真:Niklas Larsson)

  グローバル資本主義が加速したこの時代に、従業員のほとんどが障害者という企業が存続しているのはなぜか。その1つの要因は、障害者の就労を支援するという社会的な意義である。しかし、それだけではない。サムハルに企業としての強さがあるため、サムハルにしかできないことがあるからだ。与えられた数々の制約。それが、サムハルを鍛えている。

 サムハル本社は中央駅から目と鼻の先だった。挨拶を済ませると、サムハルのCEO(最高経営責任者)、ビルギッタ・ボーリンは穏やかな笑みを浮かべて話し始めた。

 「普通の会社は優秀な人材を集めて利益を上げていますよね。でも、私たちは優秀な人材から転職させていく。それでも企業として結果を出していかなければならない。これがどれだけすごいことか、あなたも分かってくれるでしょう?」

 2004年にサムハルのCEOになったビルギッタ。前職は軍需品の調達などを担当する国防省軍需品管理局の局長を務めていた。だからだろう。彼女の部屋にはスウェーデンの民芸品、「ダーラナホース」とともに、戦闘機や戦車の模型が飾られていた。

1000人の障害者が普通の企業に転職していく

 2万人近い障害者が働くサムハルは、雇用の機会均等を実現するために設立された国策会社である。収入は868億円(2007年度、1スウェーデンクローナ=11.89円)だが、そのうち500億円強は政府が補助金として出しているものだ。障害者を労働市場に組み込む――。国がサムハルを支援しているのは、その高い理想を実現するためだ。


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 だが、日本の特殊法人の感覚とはまるで違う。多額の補助金を投入しているがゆえに、“株主”たる政府の要求は厳しく、多岐にわたる。「分かってくれるでしょう?」。そう語るビルギッタの気持ちもなるほど理解できる。

 株主の要求。その1つは転職目標である。

 サムハルは年間、1000人を一般労働市場に転職させている。これは、従業員の5%以上を毎年、転職させるよう株主から要求されているためだ。政府がサムハルに求めているのは、障害者に雇用の機会を与え、一般の労働市場に送り込むという役割。そのため、転職者数の目標は何よりも重要視されている。

 次に、優先カテゴリーからの採用だ。

 日本企業では、健常者と変わらずに仕事ができる身体障害者や聾唖(ろうあ)者を採用するケースが目立つ。だが、スウェーデン政府は知的障害や複合的な障害を持つ人を優先カテゴリーと位置づけ、新規採用の40%以上をこのカテゴリーから採用するようサムハルに義務づけている。自力で就労することが難しい人を支援するためだが、経営という面だけを見ればかなりのハードルなのは間違いない。

 そして、障害者の総労働時間である。

 政府はサムハルに従業員全体で2400万時間以上の労働時間を確保するよう求めている。1人当たりにすれば年間約1200時間。従業員数の数合わせではなく、障害者に十分な労働の機会を提供させるという狙いがあるのだろう。

 もちろん、国営会社だからといって、赤字の垂れ流しは許されない。株主としての最低限の収益目標を定めている。

その目標とは「ROE(自己資本利益率)7%以上」かつ「自己資本比率30%以上」。収入の60%近くを補助金が占めているとは言うものの、転職者数の縛りや採用時の優先カテゴリーの存在を考えれば、容易な収益目標ではない。未達で経営陣がすぐに更迭されることはないようだが、国営企業に規律を与えていることは確かだ。

 このほかにも、2008年度には欠勤率の削減、年間1200人以上の雇用などの経営目標を課されている。こういった経営目標や補助金の額は直接の監督官庁である雇用省とサムハルで決める。その目標が妥当かどうかは、産業分野を司る企業エネルギー通信省の担当者がチェックするという仕組みになっている。

 「今の経営目標はリーズナブル。当然のことだと考えている。強いて言えば、転職率を上げてほしいですね」

 企業エネルギー通信省でサムハルの経営を監視しているトビアス・ヘンマークはこう注文をつけると、さらに付け加えた。

 「サムハルに対する補助金は2万人の雇用を維持するためではありません。労働市場に流動性を持たせるためのもの。労働政策上、必要な機能と考えていますよ」

2009年度はROE目標を10%に引き上げる


企業エネルギー通信省でサムハルの経営を監視しているトビアス・ヘンマーク
(写真:Martin Ekelin)

 サムハルが存在していなければ、企業に雇用される障害者は今ほど多くはない。サムハルがなければ、障害を持つ人が一般労働市場に移ることもない。働く意志のある人を労働市場に移転させる仕組みは何よりも重要なこと。その機能をサムハルは十分に果たしている――。トビアスはそう力説していた。

 「(私が就任した)2004年以降、政府に課された目標はすべてクリアしてきましたよ」

 こう語るビルギッタは少し誇らしげだった。確かに、2007年度の転職率は5.3%と5.0%の目標をクリアした。優先カテゴリーの採用は全体の51%(≧40%)、労働時間も2440万時間(≧2400万時間)、ROEは9%(≧7%)、自己資本比率も38%(≧30%)を実現している。障害者雇用を実践するサムハルは簡単にレイオフ(一時解雇)ができない。金融危機に伴う不況に備えるため、2009年度はROE目標を10%に引き上げる。

 誤解のないように述べておくが、サムハルが障害者雇用対策のすべてではない。国からの補助金で障害者を雇用する企業は数多い。サムハルとは別の障害者施設も存在する。それに、働く意志があっても、様々な理由で働くことができない障害者はたくさんいる。サムハルは、スウェーデンに数ある障害者福祉プログラムの1つである。

障害者のために仕事を作り出すことも日常茶飯事

 外部に通用する人材をどんどん転職させる一方で、株主の厳しい経営要求に応えていく――。この相反する課題を、この国営企業はどのようにして克服しているのだろうか。この質問に、サムハルのディレクター、リーフ・アルムはこう答えた。

 「私たちの役割は障害者と仕事のマッチング。だから、最も重要なことは仕事探しだよ。まあ、これが一番難しいんだけどね」

 リーフの言葉通り、サムハルはこれまでに様々な仕事を作り出し、障害者の可能性を広げてきた。全国9カ所の営業拠点では、担当者が日々仕事探しを続けている。

 例えば、前回書いた「買い物サービス」。これは、サムハルの営業担当者が各自治体と何年も前から協議して始めたサービスだった。イケアの店内清掃や郵便物の仕分け作業、工場の下請けも同様だ。サムハルの従業員でできる作業かを検証し、できそうな業務であれば、積極的に入札に参加していく。

 カフェテリアの配膳サービスもそうだ。

 サムハルは配膳や調理、皿洗いなどカフェテリアに付随するあらゆる業務を受託している。実際、サムハルが従業員を派遣しているカフェテリアを訪れると、障害を持つ人々が客の注文を聞き、皿に料理を盛りつけていた。リーフによれば、知的障害の従業員が比較的多いという。


カフェテリアではサムハルが派遣する従業員が生き生きと働いていた
(写真:Niklas Larsson)

 「障害者にサービス業は無理」。始めたばかりの頃は社内からも批判が上がった。だが、外部のレストランサービス会社と協力し、障害者でもレストラン業務ができることを証明して見せた。従業員の37%が従事するまでに拡大したサービス業。それも、担当者とパートナー企業の連携があってこそだろう。

 さらに、サムハルでは仕事を探すだけでなく、作り出してもいる。従業員ごと外部の競合他社に売却した「請求書のデータ管理業務」はその典型だ。

企業が実施したアンケートの打ち込みなど、コンピューターを使った簡単な入力作業を手がけていたサムハル。1990年代前半に、日本企業と共同でスキャン技術を活用した機械を開発した。紙の資料をスキャンして文字を読み取り、デジタルデータに変換する装置である。この機械を開発したことで、キーボードを使えない従業員でも文書の入力作業ができるようになっただけでなく、作業効率も飛躍的に向上した。

 このスキャン装置。その後、改良が加えられ、決まったフォーマットでない文書でも読み込めるようになった。その結果、様々な書式の請求書をデータ化し、管理するという新サービスが生まれた。

 A社がB社に請求書を発行したとしよう。通常はA社がB社に紙の伝票を送るが、その伝票をいったんサムハルに送ってもらう。サムハルではスキャン装置で請求書の内容をデジタルデータに変換。元の紙データはサムハルが保管し、データだけをB社に送る――というサービスである。

 企業が伝票を保管する必要がなくなるため、このサービスは多くの企業に支持された。最盛期には400人の従業員がこの仕事に従事していた。ただ、このスキャン技術は同業他社に売却した。データ管理に従事していた従業員もこの会社に転職していったという。

「私たちの仕事はセラピーではない」

 「せっかく育てた事業を売却するのはもったいないと思ったよ。でも、サムハルには事業を拡大するほどの資金力がない。それに、私たちの存在理由は障害者を転職させること。市場と競争してビジネスを拡大させることが目的ではない。障害者でもいろいろなことができるということを見せられて満足だったよ」


サムハルでデータ管理事業を担当していたハンス・メランデル
(写真:Martin Ekelin)

 データ管理事業を担当していたハンス・メランデルは振り返る(前回でも述べたが、ハンスは幼い頃の事故で左腕が曲がらない)。このように、独自に作り上げた事業を手放したことは少なくない。

 「私たちの仕事は(障害者を癒やす)セラピーではない」

 ブリギッタの言葉通り、サムハルは企業であって慈善団体ではない。実は、就職を希望してサムハルにやってくる障害者をすべて雇うわけではない。採用の判断や人数はサムハルに委ねられている。「経営をしている」と言えばそれまでだが、現状の仕事の範囲で利益を出せる適正人員を常に維持している。

 裏を返せば、障害者の仕事を広げなければ、組織が縮小するということでもある。サムハルの役割は仕事を通して障害者を社会に組み込むこと。仕事が減れば、従業員が減少し、その役割を果たせない。だからこそ、サムハルは仕事作りに力を入れている。

障害者と企業をつなぐ通訳の役割も


野菜加工場で働くサムハルの従業員。サムハルは工場内でのマネジメントサービスも一緒に提供する
(写真:Martin Ekelin)

 企業としての強みはほかにもある。それは、労働現場におけるマネジメントだ。「障害者を現場でまとめ上げる」という特異なノウハウがサムハルという企業を支えている。

 ストックホルム郊外の野菜加工場。ここでは、多くの障害者が野菜や果物の小分け作業に従事していた。サムハルは、この加工場の業務を受託している。中を覗くと、中東系と思しき従業員が段ボールに詰まったルッコラを取り出して秤(はかり)に載せ、輪ゴムで束ねていた。

 この職場では、加工場を経営する企業が直接雇用している障害者も働いている。スウェーデンの企業も障害者雇用を進めているが、現場でのマネジメントではノウハウの不足から苦労が伴う。サムハルは、実際の加工作業だけでなく、企業に対する障害者のマネジメントサービスも一緒に提供しているわけだ。障害者と企業をつなぐ通訳の役割を担っていると言えばいいだろう。

 「ここで働く人は一人ひとり障害の程度が違う。それぞれに対応することは本当に難しい。まあ、最も大切なことはコミュニケーションかな」

 この加工場の責任者、ステファン・エリクソンは、そう語る。それがすべてなのだろう。各現場で従業員を管理している担当者に尋ねても、話を聞いた全員が「コミュニケーション」と答えていた。


イケア・バルカビイ店の責任者、パー・オルソン。店内では些細なことでも従業員に話しかけるように心がけている
(写真:Niklas Larsson)

 イケアのバルカビイ店の責任者、パー・オルソンは毎日10分、15分でもいいから必ず従業員に話しかける。調子はどうだ、気分は悪くないか、仕事は楽しいか――。些細なことであっても、話しかけることで良好な関係が作れる。

障害者に細かく目配りできる管理能力が必須

 当たり前だが、障害は一人ひとり異なる。知的障害の人もいれば、身体障害の人もいる。精神障害の人もいれば、アルコール依存症の人もいる。異なる人材のマネジメントは、通常の組織以上に難しい。

 ハンスはこんな一例を示した。ある障害者はいつも15〜20分遅刻する。これは、その人の障害が原因であり、遅刻そのものを咎めても意味がない。だが、同僚の障害者はそのことが分からない。注意しても遅刻を繰り返すため、最後はケンカになってしまう――。こうしたトラブルをなくすためには、現場のマネジャーがそれぞれが抱える障害の特徴を見極め、一人ひとりの従業員とこまめにコミュニケーションを取ることが必要になる。

 だからだろう。サムハルは障害者の能力把握やマネジャー教育にかなりの力を割く。

 サムハルの教育リストを見ると、障害者の能力開発やマネジャー教育など150近いメニューが並んでいる。さらに、「チーム作業」「抱える、持ち上げる」「衛生」「読み書き」「押す、引く」といった個人の能力、免許や資格など、きめ細かく把握していく。2007年にサムハルに入社したパー・オルソン。入社後の1年で受けた研修は4週間に上った。会社が研修や教育にかける労力は並大抵ではない。

 そして、一人ひとりの能力に合わせて障害者を組み合わせていく。

 例えば、クリーニングサービスには知的障害を持つ人が多く従事している。だが、彼らは車の運転ができないため、チームには必ず自動車の免許を持つ従業員を入れる。高齢者向けの買い物サービスでも、スーパーのレジでリストと品物を照合していたのは聾唖の障害者だった。

能力に適した仕事がなければ新たに作る

 仕事のアサインはお仕着せでなく、あくまでも本人の希望を重視する。もちろん、物理的、身体的理由で希望する仕事を提供できないことはある。だが、できる限り、その人の要望を叶えるために知恵を絞る。

 先ほどの野菜加工場。ブドウの枝から実を外している盲目の女性がいた。生鮮野菜の小分け作業では、秤で重さを確かめる必要がある。だが、彼女にはその秤の目盛りが見えない。彼女にできる仕事はないか――。責任者のステファンが発注先の会社に房ごとではなく、実だけのブドウパックという商品を提案。新しい仕事を作り出した。


ブドウの枝から実を外す盲目の女性。彼女のために仕事が1つ生み出された
(写真:Martin Ekelin)

 データ入力のためにスキャン装置を開発したのも、入力作業を幅広く解放するため。過去には、身体障害者でも旋盤が使えるように、サポートする機具を開発したこともある。「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」。サムハルはこの哲学を、文字通り体現している。

 障害を持つ人材を束ねて企業を経営しているサムハル。ある一部分においては、普通の企業よりも困難な経営を実践しているとも言える。民間企業を超えた国営企業、サムハル。この稀有な企業はどのようにして生まれたのか。その設立には、1人の天才が深く関与していた。

(文中敬称略)

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