////////特別対談///////////////////////////////////////////////////////////
官僚転身時代の口火を切った男
安延さんとナミねぇスタンフォード日本センター・研究部門所長 安延 申 社会福祉法人プロップ・ステーション理事長 竹中ナミ text 中和正彦

 安延さんは今年の7月まで通産省で日本のIT政策を担っていた元エリート官僚ですが、通産省時代からプロップを応援してくださっていました。そして、退官を機にプロップの評議員という形で、正式に私たちの仲間に加わってくださいました。(勿論、ボランティアとして!)
 というわけで、ナミねえは今後の安延さんがどんな方向に歩いて行かれるのか、いま何を考えておられるのか、興味津々。早くも新しい仕事に忙殺されている安延さんを京都のスタンフォード日本センターに訪ねて、お話をうかがいました。

ビジネスへの流れを持った
米国の研究を学びたくて

竹中:ここでは、どういうお仕事をなさっているんですか。
安延:いま二つやっていて、一つは「日本型のIT革命はどう進むか」という研究です。iモードやコンビニでの電子取引といった日本独自のIT革命のモデルは、ひょっとすると世界に通用するかもしれない。そこで、そういう日本型をアメリカ型と比較研究しようということです。
 もう一つは、ディスタンス・ラーニング(インターネットを活用した遠隔学習)。スタンフォード大学は、これに関して技術もコンテンツも山ほど持っていて、多分世界一進んでいます。それを、ここを拠点にして日本に普及させる仕事です。
 日本の大学や専門学校には、スタンフォードのコンテンツで客集めしたいところが山ほどあるでしょうし、企業からは「こういう講座を開いて欲しい」といった依頼が、すでにかなりアメリカの方に寄せられています。でも、向こうも忙しいから、いちいち日本に行っていられない。そこで、ここを拠点にして、日本にもディスタンス・ラーニングを広めようと。
 この技術は、たとえばプロップでも、チャレンジドに教えるのに、あるいは企業と仕事でやり取りするのに使えるものがあると思います。と思っていたら、スタンフォード・ラーニング・ラボラトリのラリー・ライファーさんが、チャレンジドのディスタンス・ラーニングに非常に熱心で、この前のチャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)に来られたりして、ナミねえとつながりがあったんですよね。
竹中:ライファー教授のことは、CJF座長の須藤先生の紹介で知ったんですけど、不思議な縁ですね。いまのお話を聞くと、スタンフォード大学は自分のところで研究した技術なりコンテンツを外に売っていくということで、安延さんのお仕事もその面ではすごくビジネスのセンスを問われそうですけど。
安延:アメリカの大学の仕事って、もともとそうですよ。日本の大学と違って、基礎研究もものすごくやるんですけど、それを応用研究に持って行き、実用開発に持って行き、商業化まで持っていく。IT関係に限らず、そうした努力もすごいです。「まず自分の財政基盤は自分で築く」のが基本で、「まず補助金」ではないですからね。逆に言うと、ビジネス向けの研究開発をやっている人が山ほど稼いでくれるから、一方でいつになったらお金になるんだかわからない、ものすごく基礎的な研究もできるんです。私立大学が。
 実は、「そういう仕組みをスタンフォードから学ぼう」というのが、ぼくがここの仕事を受けた一つの理由でもあるんです。日本では最近になって一部の大学がそういう方向に向かい始めましたけど、まだまだ力不足ですからね。
竹中:
そのセンスはいいですね。というのは、日本の研究者の世界では、「お金の問題に触れるのは汚らわしい」みたいな感覚の人がいる、あるいは、そういう感覚の人のほうがカッコイイと見る雰囲気がある。私、それはおかしいと思うんです。自立的に回していくには、お金の問題はものすごく大事なんですから。

 

儲ける才覚
あると思っています

安延さんとナミねぇ竹中:安延さんはここの研究部門の所長としてビジネスの視点を持って研究に携わるだけではなくて、ご自分のコンサルタント会社を作ってビジネスをお始めになってもいる。会社の方のお仕事は、IT関係のコンサルティングですか?
安延:自分としては、ITに限っているわけじゃないんです。ぼくは、どちらかと言うと国際関係なんかの方が得意なんです。でも、いま頼まれる仕事はほとんどIT関係ですね。
竹中:ご自分に儲ける才覚はあると思います?
安延:どう思います? ぼくは、勝手にあると思っているんだけど(笑)。
竹中:私は儲ける才能ゼロだから私に聞かれても困るけど、ただ、安延さんのガツガツしていないところはいいなと思います。
安延:ガツガツしていない?
竹中:そういうふうに見える。あるいは、そういうふうに見せている?
安延:あっ、それはある。(笑)
竹中:それは、ビジネス・リーダーにすごく必要なことだと思います、私。会社は東京ですけど、京都とはどのくらいの割合ですか?
安延:半々ですね。で、そうやって過ごしてみると、これがけっこう、ぼくには都合がいいんです。東京では黙っていてもいろいろなところから声がかかって、バーッとスケジュールが埋まってしまうんですけど、京都ではそれがないんです。ゆっくりものを考える時間を持てる。来週スタンフォードに行くんで、いま一生懸命に英語の資料を作っているんですけど、東京では、そんなことをしているヒマがないという状態になっちゃうんですよ。
竹中:そこに印字してある資料、きちんとグラフまでついてますけど、自分でパソコンで作るんですか?
安延:ぼく、作れますよ。あっ、バカにしているな?(笑)
竹中:いや、そうじゃなくて、感心しているんですよ。会社を立ち上げる時も、バイトにでも頼めばいいような細々したことまで全部ご自分でやったって話じゃないですか。中央官庁でいいところまで行ったお役人さんが辞めて会社を興したなんていうと、「面倒なことはみんな役所時代に世話した人にやらせて、自分はデンと座っているんだろう」みたいなイメージが湧きますけど、そうじゃない。偉いなと思って。
安延:いまは女性スタッフをひとり雇ったんで、楽してますけど。

 

昨今辞めている官僚は
"プロップ的"!?

竹中:このところ、安延さんを初めとして、中央官庁の優秀なお役人さんが次々に辞めていますね。
安延:辞めるのは、優秀な人というよりも、"プロップ的なもの"と接点があるような人なんですよ(笑)。
竹中:「官僚になるような人は上昇志向の強い人」というイメージがあったんですけど。
安延:上昇志向は強いんですけど、基本的には人から評価されたいという思いが人一倍強くて、その評価が必ずしもお金を伴わなくていい人なんですね。社会的な尊敬や「世の中のためになる仕事をしている」という自負、悪く言えば、自己満足かもしれませんけど。そういうものを得ようとがんばる人なんです。
竹中:そういう官僚の方々の中に、プロップのミッションにシンパシーを抱いてくれる人が増えているのは嬉しいですけど、どうしてそういう人が増えているのか、どうしてそういう人が役所を辞めちゃうのか、そこがよくわからないんですけど。
安延:NPOには、たとえば「障害者は弱者だから守ってあげなければいけない。国はもっと障害者福祉に予算を割くべきだ」 というところもあれば、「自立できる人は自立して社会を支える側に回ろう」というプロップみたいなところもある。それぞれが「これが大事」と思うことに取り組んで、いろんな社会的なサービスを提供しているわけですね。
 役所はそうした諸々の活動に対して、まず公平でないといけない。役人はどれに対しても同じモノサシを当てなければいけない。ところが、今までは、役所が本来、NPOや企業にまかせて、多様な活動が認められるべきところまで自分がやっておかしな風になる分野が出てきている。「本来もっと多様なサービスがあっていい事業なのに、役所が一律公平の原則でやってしまうため、かえって杓子定規になってしまっている。」というものが、あちこちにあるんです。でも、逆に、もっと自由にやりたい。自分が「良い」と思ったものにだけ注力したいというお役人も出始めてるってことじゃないでしょうか。
竹中:役所がやって不自由になる分野って、たとえば?
安延:典型的なのは郵便局の仕事ですね。あれを民間がやったら、たとえば「大口のお客には安く」とか、「郵便局で生活雑貨を売ったっていいじゃないか」とか、いろんなサービスができると思いますけど、役所だから「あまねく公平に、しかも、郵便サービスに限定」ということで、それができない。
 そういう仕事がいろいろある中で、役所にも「もうここまで役所がやる必要はないだろう。NPO的なものを活用した方がいい結果が出る」と思う人たちが出て来ている。そういう人たちの中で、プロップの考え方は非常に受け入れられやすいんです。
 で、そういう人たちには、あくまでも役所的であろうとすることに疲れを感じている人たちですから、えてして辞めて飛び出すわけです。特に、通産省みたいに商売の世界と接触の多いところでは。
竹中:なるほど。

 

四十代のいまなら
まだ新しいことに挑戦可能

安延さんとナミねぇ竹中:で、安延さんご自身は、どうしてお辞めになったんですか。
安延:ぼくの場合は、商売をやってみたかったからですよ。「儲けたろう」と(笑)。
 さっき「官僚というのは評価されたい人間」と言ったでしょう。まぁ、辞めた後の話ではありますけど、「エース」とか言われて過分に評価して頂いて、その部分での自尊心は十分に満足させて頂いた(笑)。一方、役所への貢献面はどうかというと、これも一応、もらった給料以上のものはお返ししたんじゃないかと思ったんです。
 とすると、次のステージを考えますよね。四十代なら、まだ今までとは別のおもしろいことにも挑戦できます。でも、五十を過ぎたらそうはいかない。ならば、今しかないと。
竹中:わかりやすい!
 でも、何しろ通産省で「次官候補」とまで将来を嘱望されながらお辞めになったわけですから、奥さんなんかは大反対だったんじゃないかと思うんですけど。
安延:女房は、むしろ大賛成でしたよ。彼女はもともと、「東大を出て役人になって出世街道に乗っている旦那さんの奥さん」という見方をされるのが、大嫌いだったんです。
竹中:それは、お役人さんの奥さんとしては珍しいんじゃないですか。
安延:みたいですね。
竹中:結婚は大恋愛で?
安延:と、世間では言われています。
竹中:わ〜おっ!(笑)でも、奥さんがそういう方だと、その面では辞める踏ん切りをつけやすかった?
安延:それはあります。辞めて収入がガターンと落ちたらもめるでしょうけど、そのあたりはちゃんとソロバン勘定して辞めましたし。
竹中:普通は、そうはいかないんでしょうね。
安延:普通はやっぱり、奥さんに止められるようですよ。大体、転職しようなんて考えている人、なかでも、今、大層な大企業に勤めている人の場合、彼ら自身が、「自分の会社はいまがピークで、この先長くいるほどヤバくなる」ということに気づいている。だから、彼ら、つまり旦那は飛び出したいわけ。ところが、やっぱり奥さんや家族は……。
竹中:「せっかく名の通った大企業の肩書があるのに、何でそれを捨てて、そんな聞いたこともない会社に」と(笑)
安延:だから、ボクの会社も苦労してます。株式会社ヤス・クリエイト。怪しいでしょう(笑)
竹中:怪しいわな(笑)
安延:でもね、よく言うんですけど、東大生の人気ナンバーワンになったような会社は、だいたいその時がピークで、後は下り坂なんですよ。でも、今転職しようかなんて考えている連中の多くは、そういう会社にいるんです。15年前の銀行にいるような状況だということに気づいているんですよ。ちなみに、ぼくは経済学部卒業で、ゼミの同期15人のうち12人が銀行に就職しました。それだけ人気があった銀行が、いまどうですか。破綻、再編、リストラ。12人行った中で、何人が元の名前の銀行で最後まで残れることか。

 

NPOとの人事交流で
行政は変われる

竹中:省庁も再編ですね。
安延:国の仕組みには縦糸と横糸があって、省庁というのは縦糸なんですけど、これを時代に合わせて変えるのは当たり前。規制緩和を進めれが、要らない省庁も出て来ます。
 ただ、巷間「規制緩和すれば通産省は要らなくなる」という論がありますけど、これは大ウソだと思っています。というのは、通産省は日本のGNPの70%を1万2000人で見ているんです。これに対して、たとえば建設省は7%を7万人、農水省は3%を20万人で見ているんです。だから、規制緩和でいまみたいな数の職員が要らなくなるのは、通産省よりも、むしろ他の省庁なんです。
 だから、通産省の人間は、さっきの「そんなことまで役所がやる必要はない。民間委託すればいい」みたいなことを、わりと気軽に考えるのかも知れないですね。他の省庁では生首に関わる話になっちゃうから、そう簡単には考えられないのかも知れない。
竹中:もう一つの、「横糸の問題」というのは?
安延:それは、職員の採用制度、研修制度、昇給の仕方、退官の年齢といった問題です。たとえば、「天下りはやめろ」と言うけれども、じゃあ、五十いくつで辞めて年金の支給を受けられるまでの間、どうやって食っていけというのか。
 いままで、特殊法人や公社・公団は、元役人をその間食わせるシステムになっていたんですけど、そういう構造にメスを入れて天下りを禁止するならば、定年延長とセットにしなければいけない。或いは、営利企業への再就職をもっと簡単に認めないといけない。そういった問題は、まだ手つかずです。
 だから、省庁再編だけでは、行政改革はまだ半分で、官が本当に変わることにはなりません。
 と、こういう話を堂々としたいから辞めたという面も、実はあるんです(笑)
竹中:いまは役所を出て、伸びやかにしゃべれると(笑)
安延:ええ。ただ、官も変わって来ている面はあるんですよ。公務員の倫理問題が起きて、新人の研修期間が長くなったんですけど、その中にNPOでの研修も入ったんです。まだオプションだったと思いますけど、こういうのはもっと発展させて欲しい。
 入省3年目とか5年目とか、要するに役人としての素養を身につけてある程度の決定権を持つようになったところで、NPOを含めた民間の現場に行ってもらう。こういうことをすると、行政もすごく変われると思うんです。
 それと、NPOの人に役所に来てもらってもいいんです。現に厚生省には医者が山ほどいます。国家公務員試験は通っていないけれども、医師意志免許は持っているという人が。だったら、高齢者福祉をやっているところには、それを民間で専門にやっているNPOの人なんかに来てもらってもいいはずです。

 

各地で誕生のプロップ的活動
今後はネットワーク化が大事

安延さんとナミねぇ竹中:安延さんは,通産省時代から「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」への参加を初め、いろいろ支援してくださいました。NPOに理解があるのはわかりましたけど、数あるNPOの中で特にプロップに目を向けていただいたのは、どういう理由からだったんですか。
安延:NPOの中には、「行政 vs NPO」あるいは「権力 vs NPO」という対立軸を前面に出して向かって来られるところもあります。役人として接するなら、そういうところも公平に扱わなければいけません。たとえば、「ここは嫌いだから補助金をやらない」なんてわけには行かないわけです。でも、個人として応援するなら、やっぱり対立的な姿勢で来る人よりも、「一緒に何かできるんじゃないか」という姿勢で来る人を応援したくなりますよね。役人も人間ですから。
 で、ぼくにとっては、プロップが「一緒に何かやれませんか」とアプローチしてきた最初のNPOだったから、プロップを応援したんです。いまはそういう意味で応援したいプロップ的な活動が増えて来ましたけど、ただ、ぼくの会費を出す財布にも限りがありますから、すべては応援できません(笑)。
竹中:三重県の北川知事が「ITを活用した新しい政策の推進」ということで、チャレンジドや高齢者の就労にも目を向けてくれています。三重県には以前からプロップと関わりがある谷井 亨君という若い積極的なチャレンジドがいることもあって、私はいま三重のプロジェクトのアドバイザリースタッフになっているんですけど、安延さんもこの三重の動きを支援しているんですよね。
安延:ええ、政策顧問になっていますから、谷井君が立ち上げたNPOペプコム(障害者就労支援組織)なんかとも一緒に何かできないかと考えていますよ。
 で、全国的に見ると、プロップやペプコムみたいな動きが今後もっと各地で立ち上がってくると思うので、ぼくはそれをネットワーキングすることが必要になってくると思うんです。ビジネス的に見て。
 たとえば、マイクロソフトなり何なりの大企業が大きな仕事を出す話がある時、プロップ、或いは、どこか他でもいいんですけど、一つのNPOのメンバーだけでは手に余るような場合でも、全国の同じような志を持って活動している人たちの力を結集すれば、できるかも知れない。プロップ的な活動が総体として次のステージに上がるには、そういうことが必要になると思いますね。
 先行しているプロップが核になって、バーチャルな仕事のシェアリングの仕掛けを作ったらいいと思います。
竹中:「プロップがやたら強大な組織になって、いろいろな組織を次々に傘下に収めていく」みたいな展開は、ハッキリ言って私のタイプじゃないんですけど、少し前までは「私たちのところにも来て助けてくれませんか」みたいな依頼がけっこうあったんです。私としては、「プロップの真似をしてもらうのはOKだけど、私たちも他を助けるほどの余力はないし、そもそも助けてもらって伸びるという姿勢はプロップのやり方とは相容れない」ということを説明してお断りしてきました。
 ところが、最近は「傘下に入れて」じゃなく、各地でいろんな活動が自立的に立ち上がって、「一緒にやりましょう」という姿勢でご連絡をいただくようになっているんです。私が「こうなって欲しい」と思っていた形になってきていて、これはとてもいい展開だと思っています。良きライバルがいっぱい生まれないとNPOは成熟しないですからね。

 

チャレンジドの問題は
誰も他人事じゃない

安延:ぼくがプロップを応援したもう一つの理由は、実はぼく自身が身障者一歩手前なんです。というのは、両目の網膜剥離をやって、右目は一度手術をしていて、右目だけだと弱視なんです。ぼくの場合、体質から来た網膜剥離ですから、左目も右目のようになる可能性があるわけで、そうなったら本当に障害者手帳をもらえる弱視者です。
 でも、考えてみれば、人間みんなトシをとる中でチャレンジドになるんですよ。高齢化が進めば、ダブルクリックができなくなったおじいちゃんや、画面がよく見えなくなったおばあちゃんがいっぱい出てくる。だから、プロップがやっている活動は、決して自分たちに関係のない活動ではない。関係ないなんて思っていたら大間違い。そういうことを、ぼくは身を持って感じたんです。
竹中:ホント、そうなんですよね。
安延:特に次世代のことを考えると、若くて元気な納税者が障害者や高齢者を支えるという構造をそのまま続けたら、彼らの負担は大変なことになります。その負担を減らすには、われわれがじいさんばあさんになっても、何らかの形で生産活動に参加しなければいけない。「少しでも支えられる側から支える側へ」という、まさにプロップが言ってきたことが大事になって、もう「この歳になったんだからリタイアして年金もらって当たり前」なんて言えない時代になる。
 そんな中で、ITというのは場所や時間や身体条件に関係なく、知恵と経験だけを生かして生産活動に参加できるツールですから、これをいかに活用するかというのは、狭義のチャレンジドだけの問題じゃない。いま家庭にいて仕事に就けないでいる女性や高齢者に、いかに生産活動に参加してもらうか。ITがその大きなカギを握っていると思います。

 

「電子政府」政策に込めた
チャレンジドへの思い

安延さん竹中:ITを活用してチャレンジドや高齢者に、もっと生産活動に参加してもらうには、IT自体をもっと使いやすくする必要があると思います。アメリカでは「政府が調達するITは障害者にも使えるものでなければならない」という法律ができていますけど、その点、日本は遅れていますね。
安延:ぼくが去年ぐらいから一生懸命やって、多少動き始めたものに、いわゆる「電子政府」プロジェクトがあります。なぜ一生懸命やったかというと、日本の政府には開発政策はあるけれども調達政策がない。そんな中で、実はITというのは公的部門が最大の需要家なんです。
 だから、公的部門が優れた調達政策を持てば、それに民間がついて来る。チャレンジドや高齢者も使うことを想定した調達政策を打ち出せば、民間の開発もその方向に動く。それを「電子政府」プロジェクトの中でやろうと考えたんです。
 「お年寄りや障害を持った人もこういう風に使えます」「それで、こんな仕事ができます」といったことを、まず公的部門が示して行かなければいけない。それを「電子政府」プロジェクトの中でやろうと思ったんです。
竹中:政府の中で、そういうことへの理解は広まっていますか。
安延:まだ政府の中での理解はそこまで行っていませんが、「調達政策によってITの方向性はかなり動かせるぞ」ということに気づく人は出て来始めています。
 いまこそ、プロップやNPOの人たちには「せっかくIT化するなら、こうして欲しい」という声を挙げていただきたい。たとえば、いま地方で行政のサービス端末がいっぱい出来ていますけど、チャレンジドにはものすごく使いにくいんですよ。どこがどうダメなのか、もっと言ってあげて欲しいんです。

 

日本社会の大きな壁
突き破る大きな変化も

竹中:日本のITのチャレンジド対応が遅れている背景には、一つには政府に声を挙げていく当事者やNPOのパワーがまだ弱いという問題がありますけど、政府内部ではどういうことが問題なんでしょう。
安延:アメリカは、行政も「とにかくやれるところからやってみよう」という社会。行政にもトライ&エラーが許されている社会なんです。ところが、日本はそれを許さない社会なんですよ。
 たとえば、「まず病院でやってみてから」と言うと、「何で病院やねん」「学校はどうなるねん」「福祉施設はどうなるねん」「不公平やないか」と、あちこちから不満をぶつけられる。そこで「じゃあ全部一斉に始められるようにしてから、やりましょう」となったが最後、10年は遅れますよね。
 この体質は、チャレンジドの問題に限らず、ものすごく日本のIT革命の足を引っ張る可能性がある。一番遅い人に合わせようとする、いわゆる護送船団的なやり方。これは、ドカーンと大きなショックでもないと、すぐには変わらないでしょう。
竹中:でも、いまの時代、何かといままでの価値観を変えたいと思っている人がたくさんいるから、誰かがポンと突破口を開くと、ドドドッと変わり始めるんじゃないかな。私はそう思っているんですけど。
 お役所でも、「将来の次官候補」とまで言われた安延さんが辞めたのは、けっこう影響力が大きいんじゃないですか。そのことで、マスコミでも騒がれたし・・・ま、安延さんの場合は確信犯やと思うけど。(笑)私なんかは、普段あちこち動いていて、「これは世の中、変わるぞ」という気がものすごくするんですけど、そんな中で私のようなNPOの人間だけじゃなくて、安延さんみたいな人が出て来たら、官民両方で変われる気がします。
安延:さっき言った「ドカーン」と来るような大きなショックですけど、実はぼく、それは来ると思っているんです。何かと言ったら、日本の国債の大幅格下げです。まあ、これは今日の対談の本題から外れますけど・・・
竹中:私はやっぱり「国民の意識が変わって、国が変わる」というプロセスに期待するけど、意識の変化も「ポスト・ドカーン」でしょうかねぇ(笑) では、今回の対談は、とりあえずここまでということで、今日はどうもありがとうございました。来るべき大きな変化をチャンスにできるよう、是非ご一緒にやっていきましょう。

 


1956年 2月 5日
1978年 4月
1984年 7月
1994年 4月
1994年 7月
1997年 6月
1998年 7月
2000年 7月

2000年 9月
岡山県生まれ
東京大学経済学部卒業 通商産業省入省
ミシガン大学経済学部大学院
通商産業大臣秘書官
通商産業省通商政策局経済協力調整室長
通商産業省機械情報産業局情報処理振興課長
通商産業省機械情報局電子政策課長
通商産業省退職
株式会社ヤス・クリエイト代表取締役社長
スタンフォード日本センター研究所長
安延さん

「公共投資を情報通信、教育インフラに傾斜せよ」 東洋経済1998年3月19日号
「デジタル革命 ― 日本の迷走」 This is 読売1999年1月号   他 多数


中和 正彦 ジャーナリスト

1960年神奈川生まれ。明治大学文学部卒。
出版者勤務の後、フリー編集者を経て取材活動に専念。チャレンジド関連、特にパソコンとチャレンジドの関わりに関する取材の第一人者です。
また、バブル崩壊後の経済や社会、教育問題を幅広く執筆しておられます。
「朝日パソコン」「月刊ニューメディア」などに、チャレンジド関連記事を長年にわたり連載中。
プロップ支援者として、flankerではボランタリーにライティングを買って出て下さっています。
今号では、CJFレポートのまとめ、特別対談と大変なご協力をいただきました。
中和さん、本当にありがとうございます!(ナミねぇ より)