Report | うめ吉 |
Photo | 神野 武美(朝日新聞社会部) |
1995年11月のとある小春日和の日曜日、三宮。今回の取材は「復興の街・神戸」ということで、社会派障害者のうめ吉、美人秘書のあんじぃと、写真担当の自称「うめ吉の兄」こと朝日新聞社会部の神野記者の3人が担当することになった。
このコーナーでいつも問題になるのが待合せ時間だが、そこはさすがに社会派トリオ。予定の10時より20分も前に阪急三宮駅に集合してしまった。おかげで付近のお店はどこも開店前。
では少し時間を戻してアクセスについて。阪急三宮駅(1)は梅田方面から来るとあの独特のアーチ型のトンネルに入っていくが、今は震災で三宮阪急ビルが壊れたためにありふれた鉄骨屋根にかわってしまっている。このアーチは戦前からあって、映画「火垂るの墓」にも描かれているほど三宮駅周辺の独特の趣を醸し出しているものだった。
ホームは島型に2つ、北側が梅田方面、南側が神戸高速・山陽方面、真ん中が普通車両用の線路が3本という変則的な形をしている。改札は東西にそれぞれあるが、車いすで利用しやすいのは東改札。ホームからはインターホンで連絡して駅員の介助でエスカレータを利用して改札へ向かう。
改札を出て神野記者と落ち合い、早速取材開始。
まずは、JR改札前を横切り、自由通路となっている歩道橋への急なスロープを上り、三宮そごう前の歩道橋へと出る。東を見てみると、左手前に震災前は「プランタン三宮ヤング館」だったOPA三宮(2)を含む三宮ターミナルビル、そして正面には「プランタン三宮本館」だったダイエー三宮店(3)がそびえたつ。以前は、この位置からだと神戸新聞会館(4)があってダイエーは見えなかった。しかし、かつて神戸新聞会館があった所には舗装した駐車場があるだけだ。
南側は、改築中の三宮そごう(5)のむき出しの鉄骨が痛々しい。
西側は、交通センタービル(6)やサンプラザ(7)が4階建に縮んでしまっている。
それ以外にも取り壊されたビルがあるせいか、なにか見慣れた風景と違って感じられる。そう、やたらと空の青さがまぶしい。
地上に降り、神戸のメインストリート、三宮センター街(8)へ向かってみる。
ここもやはり空の青さがまぶしい。センター街の東三分の一くらいはアーケードがなくなっている。しかし、人通りは以前ほどではないが、注意していないとぶつかってしまうほどの人間はうろついている。店舗もかなりの数が再開している。何とか元の店舗で再開したり、つぶれた元の店舗の前の部分や、仮設店舗や、少し移動したりはしているがとにかく動いてる。
サンプラザに入ってみる。ここは、震災で壊れた5階以上を撤去したため、高層階行きのエレベータは使えないが、低層階用のものが辛うじて使える。サンプラザ、そしてサンプラザと隣接しているセンタープラザ(9)東館、西館は、多少の入れ代わりはあるが低層と地下部分の店舗はほとんど再開している。
トア・ロードから旧居留地・元町大丸方面へ向かってみる。元町大丸本館(10)部分は更地になっている。この付近まで来ると歩道もかなりでこぼこ。
南京町(11)。横浜中華街と並び賞される中華料理のメッカ。震災の被害はこの地域では少ない方で、震災前に近い賑わいを見せている。そんな中、神野記者が目ざとく「食べ放題!中華バイキング」のビラを発見。「神戸といえばフランス料理よ」と寝言を言っているあんじぃを多数決で押し切ってバイキングに直行。ちょっと辛目の四川風料理を食べまくる。お店の場所は内緒。どこの店でも間違いはないので、食事はぜひ南京町で。
JR元町駅(12)前。隣に寄り掛かったままのビル、更地、そして南へ向かう日曜日の人の波。復興に携わる人、自分の仕事場へ急ぐ人、観光客。電車が着くたびに活気が通り過ぎていく。
しかし、JRの高架を北へくぐるとなにか気配が違う。
トア・ロードを北へ向かう。更地、確かに立っているのにひびだらけのビルが続く。歩道は解体中のビルなどに阻まれてあってないようなもの。そんな中、がんばって開けている店もある。一軒のパン屋でお土産にパンを買う。
中山手通を越えて、北野方面へ。歩道の縁石の壊れ方から地震のパワーが垣間見られる。「そして神戸」(FLANKER#8)取材の帰りに寄って以来2年振りに見た中山手教会(13)は立っていた。しかし、よく見ると白い石の壁の上に白いシートがかぶっていて、入口には立入禁止の看板。附属の信徒会館や幼稚園はすでに新しい建物になっていた。
修復中の生田神社(14)を横目に生田筋を下る。さすがに下山手通り辺りまで来ると人通りは多いが、地震の被害そのままの所も多い。
うめ吉の趣味と神野さんの記者根性から、さんちかの車いすでの地上へののアクセス状況も調査してみた。さすがにさんちかの人出は多い。建物の被害が直接目に見ないからかもしれない。
取材を終え、喫茶店へ飛び込む。日曜日といえども埃っぽいというか空気が乾いている感じだ。ほおっておけば砂漠になってしまうのではないかと思わせる。しかし、三宮も、元町も、北野も動いていた。時間はかかるだろうが必ず復興する。あれだけの人が動いているから、鉄道が、自動車が、船が。でも、それは地元の人ばかり。神戸も、阪神6市1町も、淡路島も観光収入の占める割合が高い。だから、もっともっと観光に来てほしい。瓦礫を写真撮っても、そこで何があったか少しでも感じてもらえたらそれでいい。
雲仙や奥尻の被災地では1世帯あたり1000万円以上の義援金が分配されているのに対して、阪神大震災では1世帯あたり20万円、家族に死者が出たようなところでも30万円。住専処理に利用された1兆3000億円を避難所へ行かなければならなかった10万世帯で分けたら、1世帯あたり1300万円になる。政府は震災復興予算を組まなかった上に自分たちが甘い汁を吸ったバブルの付けを国民に押し付けて平気な顔をしている。未だに解体できないビルがあるのは、その権利関係者だけの責任だろうか。二重ローンは借りたものだけの責任だろうか。