対談

NPOの未来を探る・


Guest 国立総合研究大学院大学教授 出口正之さん
Interview プロップ・ステーション 竹中ナミ
Words & Photo ジャーナリスト 森川明義

 昨年、サントリー文化財団事務局長から、神奈川県葉山町の国立総合研究大学院大学の教育研究交流センター教授に転身した出口正之さんと、プロップ・ステーションの竹中ナミ代表が昨年10月末、プロップ・ウイングで対談。話題は転身の経緯から、NPOと市民社会のあり方、バブル崩壊後の企業フィランソロピーの展望までに渡るもので、今後のNPO活動にとって示唆深いものになった。


企業人から研究者へ

 竹中(以下今日はお忙しい中ありがとうございます。企業人から市民活動を推進し応援する側に回られたわけですが、それまでの経緯や新天地に向けての決意やビジョンをお聞かせください。

 出口(以下私は16年間サントリーに勤めたわけですが、最初3年間が営業、後の13年間は財団ですからサラリーマンとしては変わったキャリアです。財団に移ったのは自己申告です。当時、うちの財団はアメリカから社会学者を招くなどして大きなシンポジウムをやっていたんですが、学生時代に勉強していた領域とも近く興味があり、ぜひ、と頼んだわけです。
 しかし、財団に移った後、同業者の集まりがあったんですが、何となく回りの雰囲気が暗いし、年配の人も多い。サントリー文化財団は明るいのにおかしいなと思っていたんですが・・・。
 会合の後、初対面の人に誘われてバーに行ったんですが、1、2時間もするとその人がバーのママにぼやき始めるわけです。「俺も終わりだ」と。そして僕の方をみて言うんです。「この年で俺と同じ運命とは」。

 竹:若いのに飛ばされてかわいそうっていう感じですね。本人は志望して行っているのにね。

 出:それで「あっ」と分かったんですね、回りの暗い理由が。もちろん僕自身は財団の仕事は面白いし意義も感じていました。でも、一方では営業経験もあってしっくりいかないこともあったんですね。営業が苦労して稼いだ金をばーっと使ってしまう。サラリーマンとしてのアイデンティティ・クライシスを感じたのも事実です。
 その思いがすっきりしたのはアメリカに財団の調査に行ってからです。企業財団を訪ねたんですが、どこも本社ビルの真ん中に広いオフィスがあって、バリバリの人が出てきて説明してくれる。

 竹:見るからに企業としてもここは重要なセクションだという感じですか。

 出:そうです。そして話を聞くと企業フィランソロピーは当然する、それは企業にとってもプラスになると言うんですね。そして、担当部門は長期的に地域社会と関わっていく中心になっていると話してくれました。それに出てくる担当者はまるでプロ。20代だった僕が憧れてしまうような。それで、自分の選択は間違ってなかったと思えるようになりました。いづれ日本社会もこうなると。

 竹:予感はしましたか。

 出:確信がありました。当時このような話はアメリカの企業活動を紹介した本には載っていなかったですね。でも行く先々でそんな話を聞く。それにスタッフの前歴も牧師であったり大学の教員であったりと、アカデミックな世界と財団が密着しているんです。そういうことが今回の転職に影響したのは事実です。

 竹:大学への転身はご自分の中ではすんなりいったんですか。

 出:いや、大学の教授にという歯の浮くようなラブコールを頂いたんですが、最初は断り続けていました。単身赴任という問題もありましたし。でも、何回も話を聞いているうちに、自分のような者が国立大学の教授に誘われるのは一つの大きな運だと思えてきました。そしてアメリカのように財団の人間が大学に行く、財団の仕事を社会が認めてくれる、これは、全体にとってステータスの底上げになるのではないかとも思いました。それに、自由にボランティアやフィランソロピーなどをテーマに研究してもいいというのも魅力でした。
 でも、一番気にかかっていたのが財団の名誉理事長を務める佐治敬三会長がどう思うかということでした。無理してアメリカにも行かせてもらったのに今辞めるのは身勝手なのではないかと思ったんです。

 竹:それで会長さんは何と。

 出:話がいったとき大喜びしてくれました。挨拶に伺った際も想像を絶する温かい言葉を頂き、本当に驚きました。スケールの大きさが違うというか、やはりすごい方です。

 竹:完璧にレールが敷かれたという感じですね。

 出:アメリカに行ってこの仕事が華やかと思ったのは、エスタブリッシュされた世界と財団が同等だということなんです。それがまさに日本で、自分の中に起ころうとしている。それに乗ることはフィランソロピーの仕事を広げる、そういう今までの使命と一致しているということが強くありました。そして、会社にいればいずれ異動があります。自身を名実ともにフィランソロピーの世界にのめり込ませる。そういう思いで最終的な決断をしたわけです。

 竹:ドラマチックな感じですね。一人の男性が想いをフィランソロピーにかける。日本のフィランソロピーを研究者の立場で1、2歩進める。素晴らしいですね。

新しいNPO/NGOサロンを

 竹:大学に行かれて数ヶ月たたれるわけですが、具体的に計画なさっていることはありますか。

 出:「葉山フィランソロピーサロン」を創ろうと思っています。どんなものかというと、うちの大学には情報センターがあり、そこをキーにNPOやNGOの情報を集めようということなんです。
 うちは変な大学で、本部にあるのはシンポジウムの会場と宿泊施設なんです。そこに活動をしているネットワーカーの人たち、普段は電子メールでやっている人たちがたまには一緒に泊まり込んで討論をする。そういうのを月に1、2回、10人ほどのメンバーでやれたらと思っています。自分はホストでずっといるんですが、メンバーはその都度入れ替わるというような。NPOの人が東京近くに来たときにふらっと寄れるサロンにしたいと思っているんです。

 竹:出口さんらしい発想ですね。地域に根を下ろしてたまり場を創るというのは、コーディネート能力のある人ならではですね。どんな感じのものになりそうですか。

 出:10人というのは全員が車座になって座れるという人数です。顔と名前が一致してしかも全員がしゃべる。大学には個室の宿泊用の部屋もある。食事は隣にホテルがあるのでそこでとる。そうすれば一泊二日、1万円ほどでできると思います。

 竹:安いですね。そんな完備された部屋があるんですか。うそみたいですね。

 出:NPO研究フォーラムの主催にして大学の事務の人には迷惑をかけないと。その中で、ボランティア、ネットワークの研究をしている人間が葉山にいると、関心のある人は来てくださいということです。一つの拠点です。インターネット上のネットワークも大事ですが、そういうのもあっていいんじゃないかという発想です。

 竹:顔を合わせた会合と電子ネットワークみたいなもの、両方必要というわけですね。

 出:本当にそう思います。Eメールでナミさんとやりとりできるのもナミさんの顔が浮かぶからなんですね。

 竹:なるほど。サロンで顔を合わせた人とより付き合いを深めていくために、ネットワークを利用する、という感じですね。

 竹:ところで大学ではどんなお仕事をなさっているんですか。

 出:うちの大学は国立天文台、国立民族学博物館など全国11の国立の研究機関から構成されていて、教授は180人。ほとんどが所属の機関との併任教授です。学生は博士課程だけで、普段はそれぞれの機関で研究しているわけですが、年に何回かは葉山の本部でセミナーをやります。私の役割は本部の専任教授として、共同研究の促進やシンポジウムの企画をすることなんです。
 同時に、ボランティアやフィランソロピーに手をつけて、葉山をアジア・太平洋地域におけるNGOの中心的なセンターにしたいという希望を持っています。

 竹:理科系の先生では絶対にできないことをやろうと。それでまず手がけたいと思っていらっしゃるのはどんなものですか。

 出:先ほども言いましたようにまずネットワークの形成です。江戸時代、大阪に木村蒹葭堂という人がいて一種の知的サロンを作っていた。そこに行くとだれかがいるということでアカデミックな刺激を求めて全国から人が集まったそうです。
 いま、学問の世界は本当に狭いんです。それだけではだめで、葉山に行けば異業種の人もいて刺激が受けられる、そういう場作りのためのネットワークを作り上げたいというのが当面の目標です。

 竹:そこに集まるのは企業人であっても主婦でも研究者でもだれでもいいということですね。

 出:フィランソロピーの世界で言うと、企業の担当者、企業財団、NPOの人たちは役所の縦割りを批判しながらも、みんな横割りになっている。そうではなくいろんな人が交流しているのは、全国的にみても大阪が最高だと思いますね。

 竹:私はずっと関西なんで他のところはわからないんですが、大阪は独特ですか。

 出:企業の人と企業財団の人が集まることすら東京では少ないんですから。それで先ほどのサロンの10人というのは、主婦のボランティアなども含めてペアで5組ぐらい来てもらえたらと考えているわけです。
 これが研究かと言われるとなんなんですが、ある意味では確信犯的なところがあって、こういうのが絶対に必要だと思っているわけなんです。こういう知的サロンの形成というのはNPOにあるネットワークと非常によく似ているんです。

 竹:大阪の木村蒹葭堂を葉山に作ろうという・・・出口さんならではの仕掛けですね。

リーダーに必要な才能はロマンチストでリアリスト

 竹:お話しの中でNPOという言葉がよく出てきました。プロップも小さなNPOなんですが、出口さんのNPO観、海外と日本との違いは感じておられますか。

 出:よく言われますが、違いは余りないと思います。とくに「人」の点では。どこでもNPOのリーダーをしている人たちはすごく特殊なキャラクターを持っているんですよ。

 竹:個性が強いということですか。

 出:僕は才能だと思うんですが、一つは皆ロマンチストなんです。そういう人はいっぱいいるんですが、それにプラスしてリアリストでもあるわけなんです。実際に組織を動かしているんですから。ロマンチストじゃないと始められない、リアリストじゃないと続けられない、この両方を持つのはすごいことだと思います。

 竹:それが日本でもアメリカでも余り差がないということなんですか。

 出:一緒だと思います。そういう点で、僕はボランタリズムを強調するんですが、それには両方必要とするような、宇宙がビッグバンから始まったとすればNPOはボランタリズムから始まったと。だから、本質的なところで日本とアメリカのNPOに違いはないと思うわけなんです。
 よくキリスト教的な伝統云々と言いますが、そういうのをよく考えていくと日米間で最後に残るのは制度的な違いだと思います。なぜそう思うかと言うと、多国籍企業などを見ると、日本人でもアメリカではアメリカ的に、逆に外国の人も日本では日本的なフィランソロピー活動になっているからです。そういう意味で、人は本質的に違わないと思うんです。
 ロマンチストでリアリストという二つの才能を持つ人、非常に希有なんですが、そういう人が「アホなことをする」、それが文化だと思います。そういう意味では極めて普遍的な人間らしい活動なんですね。

 竹:人間が人間である限り絶対にこういう活動が生まれてくるということですね。

 出:そうです。それがどこまで組織化されるというのはいろんな条件によって違いますが、いろんなものを集約していくと人間に行き着く。ナミさんのような人を探すと余りいないんですが(笑)、NPOの中で探すとアメリカにもいるんですよ。そういう意味では極めて普遍的な現象だと思います。

制度の中でオープンに

 竹:とは言うものの、日本のNPOは社会的に認知されていないし、まゆつばもんと思う人が多いですね。今、制度の違いを話されましたが、日本で「アホな人」が増えてくるためには制度も変わらなければならないということですね。

 出:制度に関してはそう思います。日本のNPOが今のままで悪いのかというとそうではない。しかし、NPOが制度の外で発達しているんですね。これではやはり社会的な認知が遅れていくことにつながりかねないわけです。
 社会的な認知というのは極めて重要なことなんです。最近、徐々に認知されてきていますが、それは80年代に大きな変化があったからなんです。企業財団などが賞をつくったり助成金を出したりするようになった。それで、財政的に良くなったというよりも、制度の内側にあるものが外側と対話し始めたということなんです。それがちょっとたつと国際ボランティア貯金のように「お上」の領域の部門が助成金を出し始めた。ODAもNPOに金を出す。
 政府がある意味でNPOにお墨付きを与えた、それでマスコミも取り上げやすくなった。80年代はこれまで内と外と完全に切れていた両者に橋渡しができた時代だったんです。それがなかったならば、阪神・淡路大震災の後に盛り上がった企業とNPOの関係もうまくいかなかったでしょう。
 さらにNPOの発展を進めるには、制度の外側にあるのではなくて内側に入る。日本型システムと言われて、海外からも批判されている様々な欠陥をNPOが内側から変えていくためにも非常にいい活力にもなるんじゃないかと思います。
 戦後五十年から、次の新しい時代への過渡期に向かっている段階で、日本型システムを変えるためにNPOが大きな役割を果たしていくと思っているんですが。

 竹:最近、震災以降急にNPO、ボランティア支援法ということで政府、与野党からも案が出ています。それに対して拙速、稚拙ではないか、もっと検討すべきという話が市民サイドから出ているんですがその点についてはどうですか。

 出:ものにはタイミングがありますよね。具体的に市民団体側が時間をかけたらこういうものができるというビジョンを持っていればいいんですが、どうもそんな感じじゃないようです。
 僕はやはり鉄は熱いうちに打った方がいいと。そこで問題がでたら、民主国家なんだからそこで変えていったらいいと思っています。少なくとも大震災があってボランティア活動に注目が集まっているときにできるのは意義があるのではないですか。

 竹:機は熟していると。

 出:そうです。

 竹:そのときに一番ポイントとなるのはどういう部分なんでしょうね。

 出:いろんな法律との整合性を考えないといけないので一概には言えないんですが、法人格の問題だと思います。法人格がなぜ重要かというと、それがないと社会的に組織として認められていないということにもなるんですよね。それではやはり具合が悪い。法人格の取得がメーンになるでしょうね。
 税制上の優遇というものをくっつけると話がややこしくなる。まず、法人化というものに対して、だれでもが組織を作れる。憲法における結社の自由とはまさにこのことだと思っているんです。実際に、海外で日本の制度を説明すると、日本には結社の自由がないのかと質問されます。これは民主主義、市民社会の根幹なんです。

 竹:そういうときに、NPOがまだ成熟していないということはありませんか。それは逆に制度がきちんとできることで成熟していくという相乗効果だと思われるわけですか。

 出:僕はそう思います。水は方円の器に従うというか。結局、形を整えるというのは大事なことです。日本のNPOはノン・パーミッテッド・オーガニゼーション、つまり無許可団体になっている。そこから法人としての形を整えるのが一つの成熟。制度の外で成熟するのはやはりおかしな話だと思うんですよ。今の制度は税法だけが後から追っかけて、人格なき社団を法人として課税するようにしているんですね。非常におかしな格好になっています。

 竹:諸外国からすると日本のNPOの置かれている状況は変なんでしょうか。

 出:むちゃくちゃおかしいですよ。それだけに日本のNPOは頑張っている、制度の裏付けがないのにあれだけ活動できているのはすごいことだと思いますね。外国からも決して遅れていません。プロップの活動もまさにそうです。プロップの活動を世界に発信しても、日本のNPOは成熟していないとは決して言われません。

 竹:ありがとうございます。そこまで言っていただくと恥ずかしいですが。

市民社会の成熟のバロメータ

 竹:ところで最近のプロップのキャッチフレーズは「チャレンジドを納税者にできる日本」なんですが、実はこれ、ケネディ大統領の受け売りなんですよね。アメリカでは行政の長が言い、それから数十年後、日本では民間の、草の根団体のおばちゃんが関西から言う時代。国のシステムを考え直そうということなんですが、私のような民間の一人間が言って何らかの行動を起こし、なおかつそれにたくさんの企業や研究者、行政の一部までが乗ってくれる。やはりどんどん日本の動きも変わりつつあるんでしょうか。

 出:阪神・淡路大震災では企業とNPOの関係は、僕は「スィートカップル」という表現を使っているんですけど、実は70年代も企業の社会的責任ということが言われて、企業と市民団体が接触しかけたんですが、相互不信で同じテーブルに乗らなかったわけです。会話が成立しなかった。
 ところが、80年代にその橋渡しが企業財団とか行政の助成で少しずつなされ、関係が変わってきたんです。何というか、男女共学でなかったのが80年代に共学になり、大震災で一気に恋愛関係になったという感じです。
 今はハネムーンの状態、一つの機運ですが、仲のいい夫婦が別れることがあるように、これから先が大事になります。企業、NPOが互いに甘え出すということにもなりかねませんから。

 竹:まして今不況です。一時、とくにバブルの時期にメセナとかフィランソロピー熱が高まり、どこの会社も「社会貢献だ」とやりました。それがバブルがはじけてからしぼんだということがありますよね。そうすると今のスィートカップルの時期も、いつかしぼんでしまう可能性はあるんでしょうかね。

 出:いや、そうではないと思います。昨年9月、熊本フィランソロピー協会が発足しました。不況の今、なぜできたのか、企業が集まったのか。日本はバブルのときにフィランソロピーが盛り上がったせいもあるんですが、企業の余裕とか利益の関連で話をし過ぎていると思うんです。
 そうではなく、脱工業化というか社会の大きな変化の中で、市民社会がだんだん成熟してきている。ある意味では、20世紀には大きなビジョンがあったわけです。一つは社会主義であり、また一つは福祉国家。それが20世紀後半に崩壊し、ビジョンが見えなくなったとき、新しい市民社会としてNPOの動きが出てきたわけです。それは世界的な大きな変化として起きています。そう考えるとバブルの崩壊とは関係なく、違う動きをしているように僕は感じるんです。
 アジア・太平洋地域の企業の動きを見ても、むしろ積極的に市民社会の潮流の中で、CCI(コーポレート・コミュニティ・インボルブメント)という言葉をよく使うんですが、地域社会とうまくやっていくことが、従来にない形で企業が繁栄していく道だと考えるようになっています。
 社会が発展途上だと、政府のサービスもわかりやすい、企業もマーケティング活動するのも簡単だったわけです。それがだんだん社会が変わってきて、人々のニーズも細分化してきた、その中でもパブリックなニーズというのがとくに変わってきました。企業がその潮流に乗るために、積極的にCCIを行い、繁栄のために市民と手を結ぼうというのが、アジア・太平洋地域における動きの中心です。
 日本の場合はバブルのときに盛り上がりましたので、儲かるのは企業、使うのはフィランソロピーと、右手で儲けて左手で使うという議論が多かったんです。そうではないところで今、うねりがあるわけです。企業も従業員の活性化だとか、日本的経営が崩れている中で従業員のボランティアとか、新しい活力を与える、そういうことが潮流として大きいのだと思います。
 だから、バブル崩壊後も意外と、資金的には変化はありますが、企業では社会貢献の部署は増えているんですよ。そしてそこそこやってますよ。NPOと企業との関係でいうと必ずしも厳しくはなっていない。

 竹:最初に言われた企業財団や企業の担当者が暗くなるという時代も終わった、そしてメーンの部署になる時代は間もなくということですか。

 出:コメントしにくいのですが、少なくとも若い人の中では、こういう仕事がしたいという人は明らかに増えています。この分野を研究したいという学生も多くなっています。

誰でもが持っている想い --- それがボランティア

 竹:現実に阪大でフィランソロピーの講座を持たれているわけですが、そういうことはしみじみと学校で感じられるということですか。

 出:それはもう。強く感じます。そしてボランティアに対する考え方も学生の中では随分変わったでしょう。

 竹:どんな風に。

 出:昔は、絵に描いたような善人がどろどろになりながらする、というイメージを持っていたんですが、今は、もっと軽やかに明るいボランティアになってきているという感じが随分出てきています。私が言う意味でのボランタリズムに近い形で出てきているんじゃないかなと思いますね。

 竹:どろどろになったり、ぼろぼろになったり、髪振り乱したりするのは本物のボランティアではないよ、ということもあるんですか。

 出:いや、そうじゃありません。それはそれでいいんですけど・・・。この間、台湾に行ったとき、山口組の震災での行動について「山口組は財団か」という質問が出たんです。そのときにも言ったんですが、大恐慌のときにアル・カポネもフィランソロピー活動をやっている、つまりボランティアとかフィランソロピー活動をするのは必ずしも善人ではないんです。やる人が善人でやらない人がそうでないという区切りもできない、非常に普遍的な活動なんです。だれもがボランティアするし寄付もするということです。特別なことではない。大震災のときも獄中から寄付する人もいた。こういうのは極めて自然な現象じゃないかと思います。

 竹:人間が本質的に持っている想いの発露という点が大きい。

 出:そうです。個人の立場に立つと、新しくて楽しいこと、そういうことでボランティアが出てきているところが若干あって、それは非常にいいことだと思います。自己犠牲で何かするんじゃなくて、楽しい善としてやるのでいい。

 竹:なるほど。でもそれを組織化して押し進めていくときには、先ほどおっしゃったように、ロマンだけではなくリアリストでもあるということが大事ということなんですね。それがないと続かなかったり間違ったりするんでしょうね。

 出:無責任になってしまいますね。こういう話はロマンチックであればあるほど、その部分を風雪に耐えるようにしなければならない。それが本当の組織化につながると思いますね。

 竹:会社経営と似たようなものなんですかね。

 出:僕は会社より難しいと思います。何故かというと、ピーター・ドラッカーという経営の神様がいるんですが、彼が最後の最後にいきついたのがNPOのマネージメントなんです。会社は給料を支払うことで指示できるけど、NPOの世界ははそうではない。でもみんなをまとめてやっていかなければならない。そこで求められるリーダーシップというのは企業経営に比べるとはるかに難しい。ボランティアは1回だけだったらだれでも使えます。でも2回、3回使おうと思うと本当のリーダーシップがいる。

 竹:今、大学でおやりになろうとしているのは、まさにその難しいところに足を踏み入れようということなんですね。

 出:いや、私にない部分をナミさんに期待してですね、ある意味では自分自身のチャレンジです。その中でマネージメントと違うのはネットワークなんです。競合より協力が似合うのがNPOの世界ですから。

 竹:宿泊施設もあって10人ぐらいでこじんまりとセッションしながらというのはすごく楽しそう。

 出:いや、単に飲んでしゃべるだけです。

 竹:それが何よりじゃないですか。お酒も出るんですね。よし、行こ(笑)。出口さん、お酒はお強いんでしたっけ。

 出:飲むとすぐ真っ赤になります。でも、たくさん飲む人の料金を高くするなんてしませんから安心して来てください(笑)。

 竹:いつごろからオープンですか。

 出:もうすぐ始めようと思っています。でも、10人を集めるのが難しいなと思って。

 竹:ちょっと人選がね。しかも、どんな分野からとなると。

 出:あんまり申し込みが多くなると事務的にこっちがパンクしますし。最初はちょっとずつ広げていって、ある程度軌道に乗ったらインターネットなんかで呼び掛けていこうと思ってます。
 そのときは、参加者に一つだけ義務をお願いしようと思ってます。企業や大学の人だったら関連するパンフレットを、NPOの人なら活動を紹介するものを必ず十部持ってきていただく。何もない人は、自己紹介でもこれからしたいことでもいいですから紙に書いて持ってきてもらう。その資料は参加者に相互に持ち帰ってもらった上で、研究室に保存させてもらう。そこには、何年かすると極めていろんな情報が蓄積されるという状況を創り出そうと考えているんです。

 竹:「葉山蒹葭堂」の成功をお祈りします(笑)。今日は本当に長い時間、ありがとうございました。


 筆者追記:.出口さんはこのほかにもNPOと個人、企業と個人との関係についても話を進めた。80年代に変わったのは企業とNPOの関係であって、個人、とくに企業人との関係はまさに今始まったばかりという。個人もこれまでの日本的経営(終身雇用、年功序列、企業内組合)が崩壊しつつある中で、全人格を企業に託すことができなくなっている。自分の生き方は自分で決めなければならない時代になっている。そんなとき、NPOとの出会いが重要になってくる。個人も少しずつ変化してきている。


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