インターネットにおける障害者情報サービスの構築と運営

―情報の網目を手繰りながら、眺めてきたこと、眺めるべきこと―


日本学術振興会特別研究員・東北大学大学院情報科学研究科

小林 巌(e-mail : iwan@dais.is.tohoku.ac.jp)


【プロローグ】

  筆者は、インターネットでWWW(World Wide Web)を用いて障害者情報サービスを構築し、1995年1月20日から正式に運営を開始した。それから現在までの間に、筆者のサービスにも、インターネットそのものにも進展が見られている。本稿では、現在までの研究経過や運営状況の一端を紹介する。

【そもそもの始まり】

  筆者のホームページ(http://www.dais.is.tohoku.ac.jp/~iwan/)で述べているように、コンピュータネットワークに注目するようになったのは、東北大学教育学部の学部生だった1990年か1991年の頃だった。当時は東北大学で全学的にインターネットの環境が整備された頃ではなかったかと今にして思うのだが、インターネットという用語自体知名度がなかったし、ましてや現在のようなインターネットブームが起こるようになるとは夢にも思わなかった。
 インターネットについて多くの方とディスカッションをさせていただくようになって久しい。だが、筆者がインターネットに着目したきっかけを問われた経験がほとんどないのは驚くべきことだ。問いかけが無用なほど、コンピュータネットワークの便宜さが知られるようになったのかもしれない。しかし、人間の情報に対する接し方を考える際、その原点を顧みるのも悪くはあるまい。
 筆者のきっかけは、コンピュータネットワークの技術面に着眼したというよりも、それの社会的な役割や位置付けについて、ある種の展望を抱いたからだった。もしもコンピュータネットワークの有効性が世間一般にコンセンサスを得るならば、それは人間が何らかの形で構築した人の輪、あるいは人の輪を構築しようとする思いが結果としてコンピュータネットワークという上部構造に乗って初めて成立するものである。そしてコンピュータネットワークは、人間の生活の中で環境化するのが究極的な理想であろう。とするならば、下部構造としての障害者に関わる人の輪も、当然上部構造のコンピュータネットワークに乗っているはずである……
 大学院に進学してから、インターネットを本格的に利用できる状況となり、研究の息抜きに障害者にまつわる人の輪を探ってみようとした。人と人のコミュニケーションを促すためのメディアは多々あるだろうが、コンピュータネットワークでしか実現されないコミュニケーションの形態とは何か、またそこでなしえないものは何なのかを見極めるつもりだった。この息抜きの結果が情報サービスの構築へと進んでいった。

【情報サービスの運営は】

  筆者が行っている障害者情報サービスは、筆者の研究成果を公開することと、他の関連するサービスとの連携(リンク)を目的としてスタートした。インターネットで障害者に関する情報を探すための最初の手がかりをそろえるつもりだった。
 当初は、海外の情報は数多くあり、国内のサイトはまだ少なかった。ところが次第に国内のサイトも増えてきている。例えば、最近では脊椎損傷者のページや障害者の就労に関する情報リソースなどが構築されてきている。
 外部からのアクセスの状況については、毎日記録を取っており、毎朝、前日の状況をチェックすることが日課になっている。また、このサービスを開始するようになってから、電子メールで様々な相談や問い合わせを受けるようになった。資料の請求や精神的なケアに関する相談など多種多様のサービスを個人的に行っている。以上の内容については、いずれきちんと整理し、多くの人に役立つ情報はできる限り公開していきたいと考えている。

【英語が駄目、と言うけれど】

  インターネットの利用に関しても、様々な相談を持ちかけられる。「私は英語が駄目なので、インターネットを有効に利用できない」と言う人はかなり多い。筆者も英語は苦手であると答えると納得してもらえない。だがそれは事実なのだ。そればかりでなく、英語以外の外国語に行き当たる場合もあるし、海外の障害者から寄せられる電子メールには、読み書き障害のゆえか、スペリングが滅茶苦茶でネイティヴでもわかるとは言い難いものもあり、手こずることとなる。ただ、サブジェクトなどを手がかりに内容を予測するだけでもある程度の情報は得られるはずだ。読み書き障害の例について言えば、メールを寄せるという行為そのものが何を意味するのか解釈できないか……
 英語に関する問い合わせには、大きく2種類の状況があると思う。1つは、極論気味になるが、インターネットでは日本語が全く使えない状況だと思い込んでいる場合である。インターネットも商用のパソコン通信も全く利用経験のない人からこのような指摘を受けて呆然とすることがある。多分これは、WWWでは英語のリソースが充実しているためであったり、インターネットが世界的なネットワークあるためにいかにも英語でなければ利用できないような印象を受けるせいであろうか。
 2つ目は、インターネットについてある程度の知識を得ているか、実際に利用している場合である。日本語ですべての情報を読むことができたら申し分ないのは確かだ。しかし筆者がそれでも英語にこだわっているのは、2つの理由がある。1点目は、現地の生のデータを、ダイレクトに入手することができてこそ情報獲得の意義があること。2点目だが、WWWに限って述べると、日本語のページが少ないのは、日本でインターネットが広く知られるようになって間もないからだ。換言すれば、欧米諸国でも最初にWWWが登場した頃は情報サービスもあまりなかったはずで、それを皆で充実させてこそ現在に至ったのだ。その情報の共有に対する考え方や姿勢から何か学ぶことができないだろうか?
 以上を考慮した上でも、英語の情報に抵抗のある方もいるのは当然であろう。最近市販されるようになった、翻訳機能を備えた製品を試みるのも一つの手かもしれない。ただ筆者の実感から言えば、外国語の理解力は副次的な問題でしかないように思う。自分のペースで、情報をいかに処理していくかを検討する方が建設的ではないだろうか?

【エピローグ】

  インターネットを通して感じてきたことを気ままに述べさせていただいた。今後もより充実したサービスを行っていくつもりである。国内の関連情報が増えてきていることもあり、当初の目的を継続するだけでいいものかどうか疑問に感じている。そのため、以前よりはネットニュースやメーリングリストで頻繁に発言するようになってきている。
 息抜きで始めたつもりの仕事が現在の状況まで来たのも、インターネットを通して多くの出会いがあったからこそである。この間に眺めてきたものは多々あるが、筆者の根底で多忙な仕事を支えたものは、意識的にせよ、無意識的にせよ、他者の存在を志向しながら自らのアイデンティティを確立しようとする人間の真摯な姿でしかなかった。他者へのまなざしを育みながら、自らの在り方を問い続けるという無限のフィードバックを怠りない人の生は、地味ではあるが、着実に情報の持つ意味と無意味を把握したものとなっていくことだろう。
 願わくば、読者の方々が、人間にとっての情報処理の意義や望ましい情報環境について、改めて思いを馳せるとともに、思い込みに惑わされず、また自分を見失わないよう工夫しながらコンピュータネットワークを活用していただければ幸いである。

謝辞

  本稿執筆の機会を与えていただいたプロップ・ステーションに感謝いたします。貴NPOの活動が充実し、本来の意味でのリハビリテーションの見地から障害者の支えとなっていくことを切に望みます。


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