flanker No.12

そのときプロップ・ネットは

 正月。代わり映えしない普段の顔ぶれ、年に一度だけ挨拶に来る顔、1・5・8月とまとまった休みがある時だけ現れる顔、競馬で儲けてプロップに寄付をするとうそぶいている顔、無駄なダイエット宣言する顔、ナミねえの年齢暴露記事に一喜一憂する顔、ネットで年賀状を出す横着な顔、その返事をまたネットでするもっと横着な顔、遥々ニュージャージーから新年に合わせて書いてるのにこっちではもう元旦の昼だったりする顔。
  1月16日。前日の成人式の晴れ着姿、ラグビー日本選手権7連覇を達成した神戸製鋼フィフティーンの雄姿が新聞・テレビを飾っている。ネット上も普段の会話が続いていく。
  「凄い地震でしたね〜。」(1/17 6:35)。プロップ・ネットではプロップ・ウイングの「すずきしげあき」このタイトルから始まった。眼鏡を踏んで壊してしまったと書かれている。この時、淡路島から阪神間にかけてゴジラとガメラが総力をあげて踏み潰したところで到底追い付かないほどの被害が出ていた。その後、大阪の「もんど」さんの書込(6:46)、大阪の「亀仙人」さんのマスコミから入手した被害状況−とくに交通機関(8:25,9:01)、岡山から「NEWS」さん(9:37)と続く。続いて「すずき」からlnternet gateway システムの無事を知らせるらせる書込(10:03)。この時点で被災地からのアクセスはない。宝塚のうめ吉家では、傾いた2階を放っておいて、人命救助と被災者収容に追われていた。通信を試みるがパソコンが動くだけの電力は確保できない。

 18日被災地からの第一報は「ぎゃるそん」さんの「西宮は大変だ。」(8:02)、続い須磨区の「なで」ちゃん(10:45)、尼崎の「みみみ」さんからは「避難した」という連絡(11:05)。ここで、御大ナミねぇからの近況報告が入る(13:37)。編集長の「げんた」(西宮)、うめ吉等の安否が報告されている。丁度その頃、オズの箱(姫路市)のうめ吉宅へ大賀さんより障害者の救援情報を伝える「兵庫県南部地震情報第4信」のFAXが入る。「何かをしなければ」という衝動にかられ、プロップ・ネットヘアクセス。 16:36ようやくアクセスに成功したうめ吉からの第一報。死傷者3000人と報告している。エンディング・メッセージで安否確認に取り敢えず[B01]フリートークを使うように指示をして落ちる。次はいつ繋がるか分からないので必死だった。

 19日。西宮のMa_さんからの安否報告(O:10)。うめ吉は、電話の規制、自家用車での流人規制、物流と経済活動の再開を促している(9:40)。同じ宝塚の「霧笛」さん(11:55)西宮の「JIJI」さん(14:48)、「げんた」(17:14)からも無事の報。建築関係の「かけちゃん」(23:49)は、復旧関係の仕事がいっぱい来たと伝えている。

 20日。うめ吉が未明に「ko」i」さんから受取った「兵庫県南部地震情報第6信」のメールをフリートークにアップ、同時に「koji」さんへ継続的にアップしてもらうことを依頼(1 :30)。
  29日。予定していたFLANKER No.11の発送オフミ([B22]FLANKER 言いたい放題)を場所を替えてプロップウイングで決行。被災地から多くの参加があった。
  2月4日。震災関連の話題や情報を提供すするため、2つのボードを新設。

 今日3月17日で地震発生から2ヵ月が過ぎようとしています。果たしてプロップネットはこの震災でどんな役割をしてきたのでしょうか。マスコミの取材がある度に同じ質問をされますが、「そんなことは後になってみないとわからない」としか答えられません。ただ、安否確認は電話よりやりやすかったことだけは言えます。もちろん、通信環境が破壊されていなかったことが前提となりますが。(うめ吉)

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