村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年2月17日 第7回公判がおこなわれました。

木村英雄・「凛の会」元メンバーが証人として出廷しました。

第7回公判 傍聴記 平成22年2月17日
by U花ずきんs

「第7回公判(2月17日)傍聴記 by U」

「石井議員を訪問し、依頼したとする検察の供述調書は、検事の作文。全く記憶にないと何度も言ったのに、調書にサインをさせられた。」と「凛の会」元メンバー木村氏

 

 昨日に引き続き、検察側証人の証人尋問が10時から3時まで行われた。証人は「凛の会」元メンバーの木村英雄氏

主な内容は、凛の会での役割と証明書発行へのかかわり。⇒上村さんへの思い⇒検察の取り調べ調書内容との整合性⇒検事の取り調べに対する申し入れ書を弁護士に提出してもらったという流れ。

<証言の主な内容>

*凛の会は河野氏から自分がやっている活動と木村の活動を合わせて会の設立を呼びかけられた。倉沢氏を代表にしたのは、国会議員の秘書で顔が広く産業界のつながりもあり年齢的にも上なのでお願いすることになった。役割分担は、河野が司令塔で倉沢が許認可関係、木村が機関紙、広告関係を黒木。事務所は、バートルという黒木の会社と日本映像文化支援センターとの共同利用。第3種の認可をとれば広告が取りやすいということで日本橋局に申請した。費用の20万は河野と折半した。機関紙の発行人は自分であり、申請も木村英雄名で行った。規約や名簿など文書関係は河野が文案を作り自分がワープロ打ちをするという流れ。

*厚生労働省にお願いに行ったことはない。役回りが違う。障定協へは河野の道案内的に一緒に行った。佐藤事務局長にお願いした。倉沢からの指示はない。

*証明書は、6月初めころ、事務所近くの喫茶店で河野から「証明が出たよ」とカラーコピーをもらった。機関紙と一緒にファイルした。

*証明書がどのようにして届いたかは、この事案が起こってから、河野と話して、黒木のところに郵送で届き、机上に放置されているのを見た手伝いの方の連絡で河野が取りに行ったということだと推測している。

 

*<倉沢氏の手帳が示され、2月25日の欄に13時石井、バートル木村とある点への質問>

に対し、平成16年2月に議員会館の石井一議員事務所に倉沢氏と行ったことはない。この年、岩国議員、羽田議員の事務所には行ったことは明確に覚えている。石井事務所は全く記憶にない。私が石井代議士にあったという供述調書は、検事の作文。私は行っていないと申し上げたが、供述調書には「凛の会設立をして、証明をもらうために河野の指示で行くことになった」とか「先生から口添えしてほしい」「厚労省に知り合いがいるから電話しておいてやる」と言われたと書かれていると思う。障定協の佐藤事務局長に「石井代議士からお墨付きもらっている。石井議員からも厚労省に電話してもらっている」と書かれている。上村さんへの思いとして「巻き込んでしまった責任の凛の会の一員の自分にもあり、上村さんに謝罪したい」とも書いていると思う。石井議員のところへは行った覚えないと申し上げ、障定協の佐藤さんには石井の名前を出したことはないと否定した。上村さんのへの思いは言った。上村さんへの思い以外は明確に否定した。それなら、調書になぜ署名したのかといわれても、始めから押しつけられ否定しても、事実だお前が間違っていると否定される。明確に記憶にないと申し上げ、岩国・羽田は明確に覚えているのに。石井議員のところに行って首実検してほしい。石井議員がお前来てたなと言われれば、腹を切るとまでいった。検事が何かの情報でシーンを作り作文をした。

検事は、声を荒げて立ち上がったり、机をたたいたりはした。圧力は感じた。取引は持ちかけられなかった。私が行ったことはないといっても「いいんだ、いいんだこれにサインすればいい」と言われ、夜の8時を回っていたので、圧力を感じ仕方なく署名した。

*河野さんに弁護士を紹介してもらい、取り調べの内容を説明し、申し入れ書を提出してもらった。検事の名前が国井なのに林谷と間違っているのは、河野の弁護士が書いた申し入れ書をベースにされたからと思う。

 

*障定協の佐藤事務局長にわたした木村の名刺に<石井―TEL―村松>と記載されていることについて、やり取りの中での記憶もない。代表が倉沢であり、国会議員の秘書で年齢も高く顔が広いと申し上げたと思うが名前までいったかは記憶にない。

 

*村木さんとは面識がない。法廷にはいった時、会釈をしたのは、ご迷惑かけて申し訳ないという思いで。

 

 傍聴し終わって、検察のストーリーは明らかになりつつあるが、本当に誰が動いたのかがやはり霧の中・・・村木さんの無実だけがクリアになっていると実感。

 今日は、下の娘さんが傍聴に来られ、村木さんもうれしそうだった。昨日同様村木さんは、熱心のメモをされていた。

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「裁判傍聴2.17 木村証人尋問 by 花ずきんs」

前日の不快感が残ったまま法廷に向かったが、始まってみるときのうのことは忘れて証言に耳を傾けていた。木村証人は、倉沢、河野と共に凛の会を設立したメンバーの一人で、凛の会の会報紙を作ることを担当していた人物である。元業界新聞の記者だったという。

第3回公判で証人にたった凛の会会長倉沢が、石井一国会議員に厚労省への口添えを頼みに行くとき同行したとされる人物である。

石井一事務所に私は行っていない、映像が全く浮かばない

木村証人は検事の質問にも弁護士の質問にも明確に答えた。

その理由として、倉沢は顔が広いこともあり厚生労働省への申請などが任務、河野は司令塔の役割、木村は広報紙凛の作成と明確に任務が違っていたから。

取調べの検事から「倉沢と行っただろう」と言われたが否定した。しかし、供述調書に石井一のところへ行ったと書かれているので、「違うでしょ、それは検事さんの作文でしょ」ときつく言ったが、「お前は間違いなく行っている。」と聞き入れてもらえなかった。検事は立ち上がり、声を荒げ、机をそのたびに叩かれ圧力を感じたと証言。

今回改めて倉沢と一緒に石井一国会議員に会いに行ったかと聞かれ「石井一事務所に私は行っていない、映像が全く浮かばない」と供述調書の記述を否定した。

なぜ、供述調書にサインしたか

木村の言い分は聞き入れられず、石井一国会議員に倉沢と共に口ぞえを依頼するために会ったと言うことは調べる前から書かれていたと言うのだ。「検事さんの作文でしょ」と言うと「いいんだ、いいんだ。これにサインすれば」と。

 署名するしかないとした。しかし、自分の意思に反するので取り調べ後直ちに弁護士に相談・依頼し、抗議の申し入れ書を検察庁に送ってもらったと証言。

 村木さんにはきょう初めて会った。なぜ今朝村木さんに会釈をしたのかと聞かれると、良かれと思って団体をスタートさせたが、局長にも上村さんにも大変なご迷惑をかけたので心からのお詫びのつもりで会釈をしたと

 

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